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一 むかしむかし。 といっても、ちょっとやそっとの昔ではない。大宝の時代をはるかにこえて、古墳の時... 一 むかしむかし。 といっても、ちょっとやそっとの昔ではない。大宝の時代をはるかにこえて、古墳の時代、雄略の大王の率いる大和の軍団が最大の敵である吉備氏をくだし、日本の最初の統一政権となる目星がついたころの話。 丹後は筒川の河口、つまり今の京都の北の、海に面したところに端江浦《みずのえうら》という集落があった。その端江浦に美貌と風流でちょっとばかし有名な漁師がいた。庶民に姓などない時代であったから、端江浦島子《みずのえうらのしまこ》、あるいは単に浦島子《うらのしまこ》と呼ばれていた。 姓がないから下層の者だったかどうかというと、わかりかねる。土木の発展していない時代のこと。稲作は山と平野の境目の谷地で行われていた。軍事力の原動力となる穀物は谷地で生まれた。征服者の大和政権は本質的に山の民であり、海の民は支配下に置かれ低く見られた。海幸彦は山幸彦に敗れたのである。大和政権がその遠征においてワ
2016/07/07 リンク