エントリーの編集

エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
政治的に正しいとされることに遠慮せず、真理を臆せず述べること、それが学究の責務であると、妙に肩肘... 政治的に正しいとされることに遠慮せず、真理を臆せず述べること、それが学究の責務であると、妙に肩肘はって言われることがある(それも、肩肘張ってない風に言われる)。その誠実さはどの程度のものであるか。 1.何が政治的に正しいか、はとりあえず措く。政治的に正しくないとする非難があるとして*1、そのときに、「私はそんなことには頓着せず、ただ自らが真理だと思うものを述べ、それを探求するのである」と述べるとしよう。 2.この潔さ自体が、対抗的な「政治的正しさ」として押し出されている。ここで既にコケていると見なすこともできるが、これを見逃すとしよう。 3.しかし、それでも致命的に思えるのは、次のことである。こういう態度は、政治的に正しくないとする非難に関わる真理を直視しない。とりわけ、自らの果たしている政治的役割についての真理を直視しない。 つまり、自らの好みにしたがって真理を取捨選択しているだけのこと