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松倉重政は奇妙な戦国大名。奈良 五條新町地区の礎を築いた名君と、称えられるその一方で「島原天草一揆」の... 松倉重政は奇妙な戦国大名。奈良 五條新町地区の礎を築いた名君と、称えられるその一方で「島原天草一揆」の原因をつくった史上最悪の殿様と酷評されています。天と地ほど違う評価ですね。でもそれは、何故なのか?! 松倉重政とはいったい、どんな人物だった? 戦国大名筒井順慶を支える武将 松倉一族の出自は、越中国新川郡松倉が本貫地。室町時代あたりに、大和の添上郡橋田に移り住んだと伝えられています。 父の松倉重信(右近)は最初、大和の大名 筒井順慶に仕えていた。高名な嶋清興(左近)と並び、筒井氏の両翼「右近 左近」と讃えられた名将でした。 その順慶の死後、重信の息子である「松倉重政」は、筒井氏を離れ浪人(異説あり)となったらしい。 徒手空拳スタート転機は関ヶ原の戦い しばらく後、重政は「関ヶ原の戦い」に単身参陣し、軍功(一番首を挙げるなど)により「大和五條 一万石 二見城主」となる。 一万石とはいえ一国一
2019/05/07 リンク