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柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の官僚、... 柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の官僚、民俗学者。 東京帝国大学法科大学(現在の東京大学法学部)を卒業して農商務省(現在の経済産業省・農林水産省)官僚となり、貴族院書記官長(現在の衆議院事務総長/参議院事務総長に相当)まで昇り詰めた。退官して約20年を経た1946年(昭和21年)に枢密顧問官に補され、枢密院が廃止されるまで在任した[1]。 日本学士院会員、日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。位階・勲等は正三位・勲一等。出版物等においては、常用漢字体による「柳田 国男」という表記も使用される。 「日本人とは何か」という問いの答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した。初期は山の生活に着目し、『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。日本民俗学の開拓者であり、多数の著作
2011/07/02 リンク