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下道氏(下道朝臣)は下道国造氏で、孝霊天皇の皇子である稚武彦命の子孫とされる皇別氏族[3]。下道国と... 下道氏(下道朝臣)は下道国造氏で、孝霊天皇の皇子である稚武彦命の子孫とされる皇別氏族[3]。下道国とは備中国下道郡付近の、下道・川上・浅口などの諸郡と想定される[4]。姓は臣であったが、天武天皇13年(684年)八色の姓の制定を通じて朝臣に改姓した。 持統天皇9年(695年)備中国下道郡也多郷(八田村)土師谷天原(現在の岡山県倉敷市真備町箭田)に生まれる[5]。 元正朝の霊亀2年(716年)第9次遣唐使の留学生となり、翌養老元年(717年)に阿倍仲麻呂・玄昉らと共に入唐する。唐にて学ぶこと18年に及び、この間に経書と史書のほか、天文学・音楽・兵学などの諸学問を幅広く学んだ。ただし、真備の入唐当時の年齢と唐の学令(原則は14歳から19歳までとされていた)との兼ね合いから、太学や四門学などの正規の学校への入学が許されなかった可能性が高く、若い仲麻呂や僧侶である玄昉と異なって苦学を余儀なくされた
2018/07/01 リンク