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表紙は3本の干し昆布を並べただけという何とも飾り気のない本だが、なかなかどうして読ませる一冊。さな... 表紙は3本の干し昆布を並べただけという何とも飾り気のない本だが、なかなかどうして読ませる一冊。さながら、140年を誇る昆布商の主人が語る「昆布民俗学」の決定版と呼べるほどの充実した内容だ。 この黒くて地味な昆布、実は日本の近代化にも一役買っている。古くから蝦夷地で食されていた昆布がポピュラーになったのは江戸時代後半。松前(北海道)と大坂を往復しながら物資の売却をする船は「北前船」(きたまえぶね)と呼ばれ、その船荷の中で重要な地位を占めたのが昆布だった。 江戸城の修築、木曽川治水工事など、幕府から莫大な出費を命ぜられたうえ、領地は火山灰地で農業の生産性も低く、常に財政は火の車―18世紀、そんな薩摩藩が目をつけたのが昆布だった。鎖国下にありながら、外様大名の薩摩藩は琉球王国とまず貿易を行い、その後、琉球王国と朝貢貿易を行っていた清国(中国)といわゆる「抜荷」(ぬけに)とよばれる密貿易を始める。
2013/01/10 リンク