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今から72年前、1945年8月15日。昭和天皇の「玉音放送」によって、国民は戦争が終わったことを知った。す... 今から72年前、1945年8月15日。昭和天皇の「玉音放送」によって、国民は戦争が終わったことを知った。すでに310万もの日本人が戦火に倒れていた。もしも戦争が続き米軍を中心とする連合国軍の本土上陸が実現していたら、被害はさらに広がっただろう。 ソ連が北海道に上陸して南下していたら、日本はドイツや朝鮮のように、民族同胞が分裂する状態となっていただろう。昭和20年夏の敗戦は、こうした最悪の悲劇を逃れる決定であった。 その決定が、昭和天皇による「聖断」によって実現したことはよく知られている。一方、より長い時間軸で敗戦までの過程をながめると、この「聖断」の意味が立体的に見えてくる。今回は『昭和天皇実録』などから、「聖断」の意味を考えてみたい。 ポツダム宣言「黙殺」が生んだ悲劇 まず連合国軍による降伏勧告、「ポツダム宣言」(以下「宣言」)から8月15日までの大まかな流れをみておこう。 同宣言は19
2018/08/24 リンク