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⚫︎『遊動論』(柄谷行人)を読んだ。柄谷を読むのは十数年ぶりという感じだと思う。新書だしサクッと読め... ⚫︎『遊動論』(柄谷行人)を読んだ。柄谷を読むのは十数年ぶりという感じだと思う。新書だしサクッと読めるかと思ったのだが、動揺させられた。もう十年前の本だが、いわゆる「柄谷の読者」はこの本をどう受けためたのだろうか(怖くて、感想や書評を検索できない)。第一章から第三章、そして付論については、柄谷行人の本として普通に受け止められるのだが、第四章をどう考えればいいのか。 おそらくこの本は、『共同幻想論』(吉本隆明)と『千のプラトー』(ドゥルーズ・ガタリ)に対する対抗言説として意識されているところがあると思う。(柳田國男をモチーフにしているという共通点を持つ)『共同幻想論』では、過去に原始共産制のようなユートピア的な状況があったという説を否定して、対幻想に基づいた血族的な集団としての家族を共同体の基礎に置く。それに対して『遊動論』では、必ずしも血縁関係に基づくわけではない狩猟採集民による漂白的バン