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気がついてみれば自分はすでに10回この題目で書いたらしい。 『日本語が亡びるとき』の読み方にはいろい... 気がついてみれば自分はすでに10回この題目で書いたらしい。 『日本語が亡びるとき』の読み方にはいろいろあると思う。自分でもいろいろなところに後から注意が散らばっていくのを感じて、読み返せば読み返すだけ違った気持が新たに生まれてくる。これはちょっと不思議な感じだ。 『三四郎』に出てくる広田先生という人物が水村の語りによってしばらく焦点を当てられる。先生といっても三四郎の通うことになる大学の先生ではなくて、広田先生は高等学校の英語教師で、西洋語の書物に詳しい人物という役回りとして現れる。広田先生は一種の変わり者として描かれていて、それは漱石のねらいと水村の解釈が一致していると思われる点だ。それはどういうことかというと、翻訳者を養成する役回りで自分は十分と考えていることで、自分はたくさん読むけれど、ほとんど書こうと思わない人物で、これが変わり者であったということ。これについては水村が例によって秀
2008/11/17 リンク