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戦後の日本経済のフレームワークが戦時体制でつくられたことは、野口悠紀雄氏の「1940年体制論」でよく... 戦後の日本経済のフレームワークが戦時体制でつくられたことは、野口悠紀雄氏の「1940年体制論」でよく知られているが、公的年金や健康保険などの制度も「福祉国家」のためではなく、国民を戦争に動員するためにつくられたことは、あまり知られていない。 坂野潤治氏も書いているように、社会政策を生み出したのは軍部である。大恐慌で農村が疲弊し、飢餓や身売りが横行した。これに怒った青年将校がクーデタを起こした。特に大きな衝撃を与えたのは、1936年の二・二六事件だった。 広田内閣の社会局長は、『厚生省二十年史』で次のように書いている: 二・二六事件のとき私は土木局長から社会局長官になったのだが、そのとき感じたことは、わが国の経済は非常に発展し、資本家の力は伸びたが、その半面貧富の差がひどくなり、社会情勢は逆に悪化の傾向をたどっているということであった。[…]私は社会局長官として、この社会不安を取り除くため、
2015/06/10 リンク