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北京オリンピックの柔道の試合を見て、毎度、思うことであるが、国際柔道は柔道ではないなと私は思って... 北京オリンピックの柔道の試合を見て、毎度、思うことであるが、国際柔道は柔道ではないなと私は思っている。何でまあ、柔道がこんな姿になってしまったのか、ということと、全世界の人々が、「これが柔道なのだ」と思っていることを考えると怒りすらこみ上げてくる。 もともと、柔道がこうなってしまったことは、大きな枠組みで考えると、明治の時代に、嘉納治五郎が柔術から柔道をつくった時から始まっていたとも言える。しかしながら、それでは嘉納治五郎が悪いのか、講道館が悪いのかというと、そんなことは一切なく、今日の柔道は、なるべくしてなったとしか言いようがないものがある。 しかし、国際柔道がこうなってしまったというのは、これは「なるべくしてなった」とは言えないであろう。とりあえずまず、立っている状態での手で足を掬う行為は禁止とすべきである。それと投げられたら素直に受け身を取ること。投げられまいとして、もがく姿を見てい
2008/08/10 リンク