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江上波夫著『騎馬民族国家』の天皇家の婚姻制度につづいて、高群逸枝著『日本婚姻史』より「天皇の家庭... 江上波夫著『騎馬民族国家』の天皇家の婚姻制度につづいて、高群逸枝著『日本婚姻史』より「天皇の家庭」の項を紹介します。日本婚姻史5 妻問婚~大和時代~の章で触れられています。 江上氏は、族外婚と族内婚をキーワードに展開されているが、高群氏は母系妻問婚を軸に、より内実に迫る婚姻制を明らかにされています。以下、抜粋。 ********************************************** 天皇は母の家に育った。そこがそのまま皇居になった。だから古代の皇居は一定の場所ではなく転々として移ったという説(「古事記伝」本居宣長)がある。推古の言に、「自分は蘇我氏の出身だ」(書紀)とあるのも、欽明皇女ではあるが、母族の蘇我氏に育ったことをいうのであろう。その皇居の豊浦宮も、蘇我氏の当時の本居の地に営まれたものらしい。すなわち豊浦宮も、有名な豊浦寺も、もとは推古の外祖父稲目の居宅だった