朝日新聞の「慰安婦」報道の実態

歴史修正主義者、「否定論ビジネス」の商売人たちは、自分が引用ないし言及した資料・文献に自分の読者たちが自らあたってみたりしないことを確信しているので平気でインチキをします。その実例については当ブログでも何度か挙げてきましたが、1991年前後の朝日新聞の「慰安婦」報道についても同じことが言えます。
池田信夫が「そして1992年1月の1面トップ記事で植村記者は「慰安所 軍関与示す資料」と、軍が慰安婦を強制的に集めていたような印象操作を行な」った、としている朝日新聞の記事がどのようなものだったのか、例によって「聞蔵IIビジュアル」で確認してみましょう。

1992年01月11日 朝刊
慰安所への軍関与示す資料 防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌


 日中戦争や太平洋戦争中、日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが10日、明らかになった。朝鮮人慰安婦について、日本政府はこれまで国会答弁の中で「民間業者が連れて歩いていた」として、国としての関与を認めてこなかった。昨年12月には、朝鮮人元慰安婦らが日本政府に補償を求める訴訟を起こし、韓国政府も真相究明を要求している。国の関与を示す資料が防衛庁にあったことで、これまでの日本政府の見解は大きく揺らぐことになる。政府として新たな対応を迫られるとともに、宮沢首相の16日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる。
(中略1)
 中国大陸に慰安所が設けられたのは1938年(昭和13年)とされるが、今回見つかった資料のうち一番古い資料は同年3月4日に作成され、陸支密大日記にとじ込まれていた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」と題する「副官より北支方面軍および中支派遣軍参謀長あて通牒(つうちょう=現在の通達)案」。
 日本国内で慰安婦を募集する際、業者などがトラブルを起こして警察ざたになるなどしたため、陸軍省兵務課が作成、派遣軍などに通達された。「募集などに当たっては、派遣軍が統制し、これに任ずる人物の選定を周到適切にし、実施に当たっては関係地方の憲兵および警察当局との連携を密にして軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮」(カタカナ書きの原文を平がなにするなど現代文に直した)するよう指示、後に参謀総長になった梅津美治郎陸軍次官や高級副官ら担当者が承認の印を押している。
(中略2)
 これらの資料のほとんどは、戦後、連合軍に押収され、米国のワシントンで保管されていたが、58年に日本に返還され、防衛庁の戦史資料室に引き渡された。
 従軍慰安婦問題については、政府は90年6月の参院予算委員会で、「民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いている」と答弁。その後の答弁でも、国の関与を認めてこなかった。
(中略3)
 ●朝鮮人限定の指示で未報告
 防衛庁防衛研究所図書館の永江太郎資料専門官の話 こういうたぐいの資料があるという認識はあった。しかし、昨年暮れに政府から調査するよう指示があったが、「朝鮮人の慰安婦関係の資料」と限定されていたため、報告はしていない。軍がこれらの慰安所を統制していたと解釈してよいが、「軍が関与した」と解釈するかどうかはコメントできない。
(後略)

扱われている事柄の性格を無視するならこれは中学校の国語レベルの問題だと思いますが、誰が読んでもこの記事は「日本政府が“国の関与”を否認してきた問題について、“国の関与”があったことを示す資料の存在が明らかになった」という趣旨の記事です。著作権上の配慮で全文を引用していませんが、(中略1)は吉見義明氏が資料を発見した経緯についての簡単な記述です。(中略2)は歩兵第41連隊の陣中日誌(38年7月)、陸支密大日記「戦時旬報(後方関係)」(39年)についての紹介で、いずれも軍の「関与」を示すものとされてはいますがどこをどう読んでも「軍が慰安婦を強制的に集めていたような印象」など受けません。記事の本文はこれっぽっちも「軍が慰安婦を強制的に集めていたような印象」を与えるものではありません。*1
(中略3)は「軍関与は明白 謝罪と補償を」と小見出しをつけられた(そう、「強制連行」ではなく「軍関与」です)吉見教授のコメント、(後略)部分は「従軍慰安婦」の用語解説で、かろうじてここに「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身(ていしん)隊の名で強制連行した」という、この20年以上右派からの攻撃の対象になってきたフレーズがあります。
もちろん、このフレーズが示す認識はいま評価するならば正しくはありませんが、その誤りの原因はひとえに「慰安所制度についての学術的な研究の蓄積が極めて限られていたため」です。この記事の主題である資料の発見とはなんの関係もありません。当時はまだ、「慰安所」制度にある程度高い地位で関わった旧軍人、旧官僚が存命だったはずで、正確な報道をして欲しければ「民間業者が勝手にやったこと」などと政府に嘘をつかせずにすすんで実態を明らかにすればよかったのです。内地や植民地の人身売買ネットワークを利用したのだ、と。中曽根元首相だって「ワシは主計長としてバリックパパンで“土人女”を集めて慰安所を作りはしたが、朝鮮から“挺身隊”名目で集めさせたりはしなかった」と真実を語ればよかったのです!
なお、永江資料専門官の弁解はなかなか味わいぶかいですね。もし本当にそんな指示があったのだとすれば、日本政府には「慰安所」制度の全貌を明らかにしようという意図などさらさらなく、「日韓間の火種をなんとかする」という目論見しかなかったことになります。また、この記事で言及されている、すなわち「こういうたぐいの資料があるという認識はあった」が「報告はしていない」資料の中には、「朝鮮人の慰安婦関係」ではないとは断言できない資料(「慰安婦」のエスニシティには言及していない資料)があるわけですが、そうしたものは報告しなかった、と弁明しているわけです。

*1:なお、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」と題する資料の解釈については、http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html#SEC3 もご参照ください。