「市民にとっては、無抵抗こそ最大の戦力である」

どこのお花畑野郎でしょうか、「無抵抗こそ最大の戦力」だなどと抜かしているのは?
それがですね、元関東軍作戦参謀、草地貞吾大佐なのであります!
栗原俊雄著の『シベリア抑留――未完の悲劇』(岩波新書)は、「関東軍が居留民を見捨てた」という批判に対する草地大佐の反論を『関東軍作戦参謀の証言』から紹介しています。曰く、「あの作戦時、なぜ関東軍は居留民保護の兵力をさし出さなかったか(……)とただされれば、それはただ一つ、作戦任務の要請であったと答えるばかりである」、と(『シベリア抑留』、22ページ)。
では取り残された民間人はどうすればよかったのか? 同書、22-23ページより。

「市民にとっては、無抵抗こそ最大の戦力である。いかに暴戻残虐なるものも、無抵抗者に対しては手の下しようがないのである。
 僅少な武装警官に援護されたり、自ら若干の自衛装備をもっていたばかりに、開拓民等の避難集団がソ連の重火器の餌食となり、あるいは戦車に蹂躙されたりしたのは、無用有害の微少抵抗の反作用ではなかったろうか」(同前)

似たようなことが書かれている文書があります。ある種のクラスタの人々が好んで言及する『民間防衛』(スイス政府編、原書房、1995年新装版)です*1。

 戦争そのものは、戦時国際法によって規制される。
(……)
 2. 民間人および民間防災組織に属するすべての者は、軍事作戦を行なってはならない。孤立した行動は何の役にも立たない。それは無用の報復を招くだけである。
(218ページ)

 国際法には、次のとおり定められている。
 占領軍は、好き勝手に行動する権利を持っているわけではない。占領軍であっても、陸戦に関するヘーグ条約およびジュネーヴの赤十字協定を尊重する義務がある。
(284ページ)

しかし、アジア・太平洋戦争期の日本軍は将校にすら国際法の教育をろくにしていたかったのに加え、満洲の居留民たちは国際法などどこ吹く風の関東軍の振る舞いを見聞きしていたはずです。さらに居留民は必ずしも勝手に武装していたわけではなく、武装移民団、青少年義勇軍のように国策として軍事訓練を受け、武装していたわけです。さらに、自身がソ連に抑留されていた草地が本気で「ソ連軍も無抵抗な民間人なら手を出さなかっただろう」と信じているはずがありません*2。『シベリア抑留』は桑原武夫などを例に挙げて、1950年代の「アカデミズム識者の批判はソ連に向かわなかった」ことを指摘していますが、他ならぬ関東軍の参謀(しかも抑留の体験者)がソ連軍のお行儀をそれほど高く評価してみせたことを知ったら、スターリンも墓の下で苦笑したのではないでしょうか。

*1:なお、その種のクラスタの人々が引用しているのを見かけたことはないのですが、「住民は、捕虜に対して敵意を示す行為を決して行なってはならない。いかなる立場の下でも、負傷者および病人は、たとえ敵であっても助けねばならない」などといった指示も書かれています。

*2:被害がいくらか減っただろう、といった仮説であれば検討の余地があるでしょうが。