『日中戦争』『南京事件 増補版』ほか(追記あり)

ここのコメント欄で話題になっている秦郁彦の『南京事件』増補版(中公新書)を私も立ち読みしてきた。増補部分での結論は

この20年、事情変更をもたらすような新史料は出現せず今後もなさそうと見極めがついたので、あらためて4万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下回ることを付言しておきたい。

となっているわけだが、資料をもとに推定犠牲者数を積み上げてゆく手法で「最高限」と主張する、というのは仰天だ。特に非戦闘員の犠牲については事実上スマイス調査(の数を内容不明な方法で下方修正したもの)を援用しただけなのに「事情変更をもたらすような新史料は出現せず今後もなさそうと見極めがついた」と断言するのにも仰天した。


追記:コメント欄でTekamonasandaliさんが『南京事件 増補版』について報告してくださっているので、主な部分を転載させていただきました(コメント欄もご参照ください)。

(1)「旧版」の「マギー」は「フィッチ」に修正されていましたが、ティンパリーが結婚ため中国を離れるという秦の解釈に基づく誤記(p.11)は修正されていませんでした。実は、秦氏が日大在職中にゼミの学生が掲示板を開設していたので、マギーの件を含め、既存の資料を示して数カ所の誤記を指摘して秦先生にお知らせくださいと投稿しておいたのですが、これは伝わっていなかったようです。


(2)>推定犠牲者数を積み上げてゆく手法で「最高限」と主張する、というのは仰天だ。


近年の秦氏の著作には同種の「仰天」がたまに見られます。もちろん、「仰天」するには、指摘されている個所に違うことが書かれていることを知っているか、調べるかする必要があります。普通の人は、筆者が自分の書いたこと改変して要約したり引用するとは思いもよりません。
自分の書いたものでさえ、こういう危ないところがありますから、他人の発言はかなり危ないと言わざるをえません。
しかし、笠原氏への執拗な攻撃は相変わらずです。


(3)戦死者と脱出者を入れかえたた(p.317)というのは、かなり強引です。これは2つの理由でだめです。
まず、根拠が、あまりにも薄弱です。中国側戦史とは一体何なのか。多分、脱出者ではなく戦死者のことだろう。
「旧版」で5.4万の戦死とういう数字が『東京日日』の記事(「上海派遣軍」発表で、後日修正されたのが『朝日新聞』記事)に基づくものだから、そもそも「旧版」がいいかげんだったといえばそれまでだ。


(4)ティンパリーの電報の「30万」は揚子江デルタ地帯の被殺者数で、それはジャキノ神父による数字だということが、どうして分からないのか不思議でしようがない。秦氏のきらいなアマチュアならいざ知らず。(p.253以下)南京軍事法廷の「30万余」に「起源」があるなどという史料は存在しない。それから気になるのが、当時、8万とか10万と大きな数字がでてくるのは中国の新聞で、それは南京からの脱出者によるものだが、既存の資料集に掲載されているのに全く無視している。ウィルソンなどの日記類も無視している。表9-1(p.258)はミスリーディングで、研究者の作品としてはいかがなものか。
それに、プロパガンダ説はあかんでしょ(^^;


(5)百人斬り競争(pp.307-8)、「主要参考文献」に挙げた自分の論文の結論をちゃんと書きなさいと、言いたい。


(6)結局、この20年間で、秦郁彦氏は研究者をやめ、第三者的立場を装いながら、実際には特定の立場をとる評論家になったということでしょう。それは、「つくる会」の教科書の評価からも明らかでしょう。あんなもん「国民の支持が低くない」(p.297)んだったら、今の惨状は一体なんなんですか?


さすがに盧溝橋事件70周年にあたる年ということで、日中戦争関係の本の出版は増えているようだ。講談社現代新書からは小林英夫の『日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ』が出ている。日中戦争における双方の戦略をそれぞれ「殲滅戦」「消耗戦」と特徴づけ、双方が主として頼りにしたのがそれぞれ「ハードパワー」「ソフトパワー」と特徴づけることにより、日本が負けるべくして負けたことを解説しようというもの。細かな部分で疑問に感じるところがないでもないが(後述)、アジア・太平洋戦争(および日本の敗北の理由)を大づかみに理解しようとする場合には有益な対比だろう。
本書のもう一つの目玉は、1953年に中国で発掘(文字通り。埋められていたのが掘り出された)され2003年に公開された「関東憲兵隊通信検閲月報』を紹介しているところ(ただし検閲の対象は東北だけではなく、中国全土に及んでいるとのこと)。南京事件に関しては、南京陥落後日本軍のプロパガンダのために集められた小学生たちの「やる気のないさま」を伝えた手紙が紹介されているほか、従軍慰安婦や毒ガスの使用などの戦時犯罪に関する通信の検閲が記録されている。変わったところでは児玉誉士夫の手紙も記録されている。
重慶爆撃による被害と生活苦を伝える中国人の手紙が検閲のうえ「発送」扱いになっていることについて、「あえて空襲の状況を中国側に伝えさせるため〈発送〉処置にしているところに、この戦争を殲滅戦略で把握している日本側の特徴が出ているように思う」としている点については、ちょっと首を傾げる。戦略爆撃はむしろ「消耗戦」の軍事的表現と考えるべきではないのだろうか(そして日本は前田哲男の言う「戦略爆撃の思想」においては先駆的でありながら、それを徹底的に推敲する能力と意思を欠いていた、ということではないのか)。まだしも「ソフトパワーの軽視」というもう一つの観点から説明する方が腑に落ちる。


追記:ブクマコメントでD_Amonさんが

資料をもとに推定犠牲者数を積み上げてゆく手法で「最高限」と主張する、というのは仰天だ」あれは最低限の数字でもっと増えうるということを他の本に書いていた筈。おそらく「昭和史の謎を追う」

と書いておられますが、正確には次の通りです。

筆者が算出した四万は、かなり余裕を持たせたとりあえずの概算であり、新たな証拠が出現すれば、多い方へ向かって修正されるのは当然である。
(『昭和史の謎を追う』、上巻、文春文庫、「論争史からみた南京虐殺事件」、199ページ)

微妙な表現で、「余裕を持たせた」というのは意味がよく分からないわけですが、「多い方へ向かって修正される」ケースについてのみ明示的に言及していることから素直に読めば「四万は堅めの、すなわち確実なケースだけに絞った数字」という印象を受けます。というのも、論理的可能性としては「新たな証拠」の出現によって数字を下方修正することだってあり得るからです。ちなみに、この文章の初出は89年の『正論』です。