2025-09-14

乾きの声

ある町で、人々は子らの水筒に鍵をかけた。

蓋は固く閉ざされ、開くのは選ばれたときだけ。

それは水を護るためだという。盗み飲む者を

避け、いたずらを防ぎ、災いを遠ざける

ためだと。

「これで安心だ。子らは清らかな水を持ち歩き、

誰にも奪われぬ」

大人たちはそう誇った。

彼らは愛の名を唱え、警戒の名を掲げ、

安心という鎧を纏った。

だが私は見た。

彼らは水を護ったつもりで、喉を

縛りつけていたのだ。

水は流れてこそ水であり、解き放たれてこそ

澄む。

閉じ込められた水は、護られるのではなく

腐りゆく。

そして鍵は、子らの掌に渡されたとき

祝福ではなく負担となる。

それでも人々は言うだろう。

「世は危うい。だからこそ、鍵こそが愛だ」と。

けれど私は知っている。

愛は閉ざすことにはなく、解き放つことにある。

安心は鍵に宿るのではなく、信じ合う眼差し

宿る。

そして真に護られるべきは水筒ではなく、

渇きの声なのだ

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