非常に常識的な事ですが、世の中に批判を免れるような価値観というのは一切存在しません。例えば「職業に貴賎はない」というテーゼすら批判される余地のあるものです。
批判されるべきではない価値観などは存在せず、常に批判にさらされ磨かれるからこそ、そういう価値観が普遍化もするし説得力を増すものと私は考えております。
インターネット上で議論していて気になるのは、一部の批判を認めてしまうと、全てが否定されてしまったように思う人がいること、あるいは一部分で論破できたからといって、相手の全てを論破し得たなどと勘違いしている人がいることです。
自分の側に論理的におかしなところを認め、その上でこれとこれについては認めるべきだと主張すれば、うまくいけば批判する側を味方につけることができます。自分の側に論理的におかしなところがあることに目をつぶり続ける限り批判は免れないのであって、そこを最終的につけ込まれれば、せっかく正しいところが多分に含まれていたとしても、その無責任さ故に全体を否定されてしまうことになりかねません。
事実そういう流れになってしまった。
yukiさんが被差別者の権利を主張する上でまずいなあと思っていたのは自虐癖です。簡単な例を示します。
yukiさんは簡単に「女は全て売春婦」などと口にしてしまう。ここで使われている"売春婦"と言う言葉は明らかに蔑む対象としての意味を含んだ言葉です。黒人差別、部落差別と一線をひかなければならないと言った理由はここです。
まず「女は全て売春婦」という言葉は取り下げるべきです。それから"売春婦"と言う言葉は差別的な文脈で使われるべきではないと表明すればいい。
そして、
「自分は売春婦であったことを恥ずかしいこととは思っていません」
と表明してはじめて、黒人差別、部落差別と同等の基準で発言することが可能になります。
あるいは、
「人はいかなる理由であれ差別されてはいけない」
という文脈で用いるのなら、自らをことさら「売春婦」と強調する必要などどこにもないでしょう。
意地悪な質問だとわかっているのに、あえてそれをぶつけてきたうえ、差別的だと怒れば被害妄想が強いと嘲笑う。自由に発言している、発言を制限されていないから差別ではないと屁理屈。ぺんぺん、これでわたしが黙ったら、あなたはきっと言うのでしょう。論破されて黙ったのであって、差別ではないと。
仮に論破されたとしてはそれは一部分であり「人はいかなる理由であれ差別されてはいけない」というテーゼまで否定はされないでしょう。但し、時として自分の非は一切認めないという頑固さを徹底的につけ込まれると言うことは、覚えておいてもらいたいものです。無駄なプライドが仇になっている好例ですね。
ちなみに言及するのならちゃんと引用元を明示しましょう。
*minx* [macska dot org in exile] - 売春者への蔑視発言をめぐる議論(3)
あとインターネット歴も長いのですからblockquoteの使い方ぐらい覚えてください。引用と主張の区別がわかりにくいと言われても文句はいえませんよ。相手に理解して欲しいのならそれぐらいの努力はしてもらいたいものです。
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