『アルジャーノンに花束を』を読んだ

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読み終わったあと、ウォレン養護学校にいるチャーリィの姿を想像して涙ぐんだ。広大な土地、森、宿舎、そこでチャーリィと同じような人たちと遊んでいるチャーリィの姿。読後、放心状態になった。だがしかし書かなければ、書きたい、という気持ちでいまこれを書いている

 

ウォレンに向かう電車の中で、その電車がもう二度と元いた場所に戻らないのと同様、チャーリィはもう彼が生きた街、部屋、パン屋、センター、教室、ダンスホールに戻れないということ、戻らないということ、チャーリィの人生、能力ももはや不可逆であることの意味。

 

チャーリィはウォレンに行くことを自分で選択した。朦朧としていく意識の中で、自分が正常でなくなったらあの場所に行くのだと決めていた。


以前いた場所に戻り、そして留まることだってできたかもしれない。パン屋や教室にだって一時的にでも戻れたのだから、そういう選択だってあったはずだ。しかし、人に迷惑をかけたくないという気持ちもありながら、自分の、人間としての最低限の尊厳、どこで生き、どこで死ぬか、という選択肢は決して手放さなかった。


チャーリィは、手術前も、手術後も、そして退行したあとも、ずっとずっと人間だった。誰から許可を得る必要もなく、生きている生身の人間であるということは当たり前のことだ。しかし、チャーリィのことを人間として扱わない人も中にはいる。ウォレンですら、"大きい赤ちゃん"のようにチャーリィのことを扱うのは目に見えている。

 

ぼくは人間だ、一人の人間なんだ――両親も記憶も過去もあるんだ――おまえがこのぼくをあの手術室に運んでいく前だって、ぼくは存在していたんだ!

 

*

 

今まで読んだ翻訳された本の中で一番読みやすかった。これほどするすると読める海外の本は今までなかった。小尾芙佐さんの翻訳、尋常じゃなく読みやすくて、読んでいる最中「なんでこんな読みやすいの?これはなんなの?」と思っていた。特に手術後のチャーリィが各所で怒るタイミングがあるけれど、そのときの台詞は初見でも噛まずに抑揚をつけて声に出して読めるレベルだった。演劇の台本のようでうつくしい文章だと思った。

 

*

 

ちょっと待って、アルジャーノン読み始めてもう10ページくらいでもう泣いてる 痛い目に遭ってもかまわないから賢くなりたいってなんだよ 泣く

 

読み始めて、私は上記のpostをBlueskyに投稿していた。

 

ぼくわ痛い目にあってもかまわないのですぼくわじょおぶだしいしょけんめやるつもりですからとぼくわいった。

かしこくしてくれるならかしこくなりたいのです。

大ぜえのひとがぼくをわらうけれどもみんなぼくの友だちでとてもたのしいのです

 

こういうようなことをチャーリィが言うたびに涙が出た。彼はパン屋の同僚や学校のみんな、博士のことを友達だと思っている。
笑われているなんて思いもしない、ただ、みんなが笑ってくれるとぼくも嬉しいという気持ちがあり、ぼくも賢くなれたらみんなが話してることがわかるからどんなにいいだろうかという希望に胸を膨らませるあたたかくて明るい気持ちに、涙せずにはいられなかった。

 

*

 

手術後、賢くなり出してからキニアンやニーマーの人物像がわかってきた。美人だとか、どういう表情をしているかだとか、顔が見え始めた。最初、文章から顔が見えなかった。そして最後、退行するにつれ、どんどんモヤがかかるように彼らの顔は見えなくなっていった。
文章を読んで、このような体験をしたのは初めてだった。

 

*

 

最初は「みんなの話してることが分かるようになったらどんなにいいだろう」って夢を見てたのに、もはや一般人の知能を超えていよいよ「博士や教授連中と話しても奴らは自己保身ばっかでまともな話もできなくてくだらない」と周囲を見下し始めた。

 

女性のことを抱きしめると幼少期の自分に見られてる気がしてハッとして振り返るけど誰もいなくて息を吐く そういう鮮やかな描写に圧倒された

窓から見られている様子、窓から見ている様子、どちらもチャーリィなのだが2つの人格がせめぎ合っている様子がおそろしかった

 

*

 

『アルジャーノンに花束を』を読んでいるとき、その影響からか、寝てるときに夢をたくさん見た。しかもはっきりと覚えてる。私の脳も寝てるときに整理されてるのかもしれない
あの謎の、テレビのような音が出る箱が私のそばにもあったのかもしれない

 

*

 

私はずっとチャーリィが発達障害なのだと思っていたけれど、中盤でフェニルケトン尿症と紹介されていて驚いた。病気について少し調べ、分かったふうな気になった

 

*

 

終盤、人がひとりで死ぬこと、無になることになんとか抗うために人と手を繋いで行う、祈りのようなセックス描写が とてもよかった。よいというか わかるというか、わからないけど そういうふうに感じる人がいるのを私は知っている。

 

人間は嵐のさなか、船外へほうりだされないようにするために、おたがいの手を握りあって、引きはなそうとする力に抵抗する、そうするときわれわれの体は、無へ押し流されないようにしてくれる人間鎖のひとつの輪となって融合する

 

これでのちのちキニアンが妊娠したら……というのを想像せざるを得なかった。チャーリィが生きていた証が、論文という形ではなく、何かもっと神秘的な、命としてあったなら……。


今ふと『フォレスト・ガンプ』のことを思い出した。ガンプが女性を訪ねたら家には子どもがいて、あの子はあなたの子どもなのよと初めて知らされて、子どもとぎこちなく対面するシーン……。


*

 

私はただそれまでどおりに、彼女といっしょに遊んでもらいたかった。彼女の気持を傷つけるようなことはなにひとつするつもりはなかったのだ。

 

チャーリィの「なにもするつもりはなかった」という言葉を読むたびに、心が突き刺されるような思いだった。夫と喧嘩をするとき、夫の言葉や行動に私の心が傷つくとき、夫には悪意があったんじゃないかと思ってしまう。でも、そうじゃなくて、本当に、相手を傷つけたり悲しませたりするつもりなんか本当にないんだってことが、冷静になるとようやくわかる。そういうことを100回以上は経験している。

 

もともとは怖かったりつらかったりしんどい気持ちがあって、それが元で様々な行動をチャーリィがするのだけれど、なにをするつもりじゃなくても、チャーリィの行動は、周囲から笑われたりひどい言葉を言われたりする。

 

きっと、とてもつらいことだと思う。
誰にもわかってもらえないことだから。
どこにも悪意なんてないことを、伝える術すら手術前や退行後のチャーリィは持っていない。


ただこわくてつらかっただけなのに、身体が震えたり、漏らしたり、他人が見たらばかに見えるようなことをしてしまうがゆえに、人間として扱ってもらえない悲しさ。

 

これまで、夫から、「そんなつもりはなかった」と言われるたびに、「そんなつもりはなくても、あなたの行動に私は傷いた」と怒っていた。
まるでチャーリィの母親ローズのようだと思った。


こうあるべき、というのが自分の中で固まっていて、そこから逸れることを極端に恐れている。チャーリィの人生はチャーリィのものなのに、チャーリィが自分の所有物であるかのように支配しようとする態度。私も自分の態度を見直さなければならない。

 

*

 

以前山下智久さん主演でドラマ化されていた。私は当時21歳だった。もうドラマの内容はほとんど覚えていないし、改めてドラマのサイトに掲載されている人物相関図を見ても、あまりピンとくるものがなかった。

 

ただ、当時の私はたびたび『アルジャーノンに花束を』のことをツイートしていて、心の中ではずっと読まなければと思っていた。思えば、この本はずっと私のことを呼んでいたのだと思う。そして手に取った今が、読むべきタイミングなのだと思った。

 

本が世界や宇宙を旅するように、私自身も世界や宇宙を旅している。その2つの円(私はいつも人も物もまるい円の形をした人生、旅をしているようなイメージをする)がバチッと重なったのが今だったのだと思う。このタイミングで読めてよかった

 

 

↑当時のツイート。きらきらと光るものに心が奪われる描写は原作のほうにもあったので、一応ドラマ版も踏襲はしていそう

 

改めてドラマは一体何だったんだと見返したい気持ちとそんな怖いことは今はしないでもいいよ、の気持ちで揺れている

 

*

 

『アルジャーノンに花束を』や『窓ぎわのトットちゃん』を図書館から借りてきたとき、夫は表紙を見て「なつかしい」と言った。(アルジャーノンは当初ハードカバーで読もうと図書館で借りてきていた。そのときに夫から上述の通り声をかけられた。その後文庫本も借りてきた。それがこの記事のトップの写真)

「読んだことはないけど、すごく売れた本で、実家にも置いてあったから」と言っていた。私もそういう体験がほしい。今から20年後に中村佑介が描いた絵が表紙の森見登美彦の本を読んでいる人がいたらそういうことを感じると思う。

立山黒部アルペンルート横断&富山旅行記

 

なぜ富山?

JRが2024年10月15日(火)~31日(木)限定で運賃と料金が 50%割引 になる「新幹線 e チケット(トクだ値スペシャル 21)」を売るという情報を知り、そんなに安いなら使わない手はないなと思った。ただ50%割引の競争率はとても高く、みんながみんな50%割引で買えるわけではないということを計画段階では私は知らなかった。(この点については後述する)

 

北陸新幹線「かがやき」「はくたか」が対象で、区間は東京・上野・大宮⇔黒部宇奈月温泉~敦賀間として設定されている。ざっくり富山、金沢、福井が選択肢にあがってきて、金沢は以前行ったことがあるのでパス、となると富山か福井のどちらかとなる。

福井は東尋坊と恐竜博物館があるのか……あまり惹かれないな…(失礼)ということで今回は富山に行くことにした。

 

しかし富山も福井もなんというかこう、心を強く惹かれる決め手みたいなものがどちらも欠けていて、唸っていたところ、「立山黒部アルペンルート」というものを知った。

アルペンルートは去年パートナーがひとりで行っていたので色々と参考にさせてもらった。パートナーは富山側から室堂に行ったあと富山側に戻り、車を走らせ長野県の扇沢側へ行き黒部ダムを見にいくというルートでアルペンルートに行っていた。

 

事前準備

ざっくりと予定を立てて、宿の予約をする

私はもともとアルペンルートを1日で通り抜ける予定を立てていた。

また、長野県の扇沢から富山県に抜けるか、富山県から長野県の扇沢へ抜けるか、と考えたときに、私は富山駅で宿泊したかったので、私は前者を選択した。

ただ、予定を立てるうちに1日で通り抜けは無理じゃね…?と勘づいて、Twitterに投稿をしたところ、インターネットの先達からは、扇沢での前泊か、室堂での宿泊することを勧められた。なので、室堂で宿を予約した。本当は一人一部屋のホテルがよかったんだけど、値段が高かったりホテルが埋まったりしていたので、相部屋の山小屋に泊まった。(これは別途後述)

 

 

立山黒部アルペンルートの切符を買う

そもそもアルペンルートって何?という方は、まずは以下のサイトを見ていただきたい。「富山と長野を結ぶ山岳観光ルート」で、各駅からどんな乗り物に何分くらい乗って移動するか、という記載があります。

 

www.alpen-route.com

 

 

上記は公式サイトから拝借させていただいた画像で、私が乗ったのは、特急バス、関電トンネル電気バス、黒部ケーブルカー、立山ロープウェイ、立山トンネルトロリーバス、立山高原バス、立山ケーブルカー、富山地方鉄道の8つの乗り物、つまり全部です。1泊2日の旅行でこんなにたくさんの種類の乗り物に乗ることってある?(ない)

 

 

そしてこのたくさんの乗り物に乗るために、立山黒部アルペンルート WEBきっぷというのがあり、事前に購入しておこうと思った。普通のWEBきっぷとは別に「秋の早割10」というのがあり、長野の扇沢駅から、電鉄立山駅まで片道で通常12,170円のところ10,970円になるというサービスだった。

 

どうやら乗り物ごとに切符を買うこともできるようなのだが、通り抜け用の切符も用意されているらしかった。しかし私は室堂で宿泊するので、通り抜け切符を買ってはいけないのでは…?1日目の扇沢~室堂の切符と、2日目の室堂~電鉄富山の切符を買わなければいけないのでは…?でもそんな購入ができるようなサイトではない…なんだこれ……と混乱したんだけど、「有効期間は、ご利用開始日から片道・往復ともに5日間」という記載があり、なるほど、これなら1泊2日で扇沢から電鉄富山までの1枚の切符で大丈夫そうだな、と思って、扇沢駅から電鉄富山駅までの通り抜け用の切符を安心して購入した。

 

切符を購入するときに、長野駅~扇沢駅までの特急バスの「オプション利用券」も販売していたんだけど、今回はそれは購入しなかった。というのも、特急バスの利用方法について以下の記載があったため。

 

立山黒部アルペンルート 特急バス・路線バスオプション利用券について
(中略)
【長野から片道ご利用のお客様】
「長野駅」には自動受取機がございません。予約詳細画面が表示できるスマートフォンなどの端末(チケットレス)または予約詳細画面が印刷された紙をご持参いただき、
「善光寺大門」「ホテル国際21」「ホテルメトロポリタン長野」「長野駅東口」からのバスご乗車時に乗務員へご提示ください。
「扇沢」到着後、駅構内にございます自動受取機にて、「WEBきっぷ」および「オプション利用券」を発券ください。
高速バス | 長野のバス・鉄道ならアルピコ交通株式会社

 

アルペンルートのWEBきっぷは本来、自動受取機で発券する必要がある。しかし、長野駅には自動受取機がないので、きっぷのスクリーンショットなどを見せる必要がある。問題は最後の一文、"「扇沢」到着後、駅構内にございます自動受取機にて、「WEBきっぷ」および「オプション利用券」を発券ください。"だった。これはつまり、乗るときはスクリーンショットを見せて乗り、扇沢に到着したあと自動受取機できっぷを受け取って、そのあときっぷを手にバスに戻ってきっぷを見せろということ……?と私は思ってしまったのだった。

 

扇沢に到着したあと、その次に乗る関電トンネル電気バスは時間を指定する必要があった。乗り遅れた場合は時間変更が必要になり、変更に際して料金が取られたりする。なので、バスから降りてきっぷを発券してバスに戻ってきっぷを見せて……なんてやってる暇などない、それなら「オプション利用券」は使わずに、バスはバスで、普通に乗るときに支払いをすればいい、と私は判断したのだった(「オプション利用券」は別に割引があるというわけではなく、普通に乗るときの乗車料金と同額だったこともありそちらを選択した)

 

ただまあこれも私の杞憂であって、別にバスから降りてきっぷを発券してバスに戻ってきっぷを見せる必要なんか無かった。「オプション利用券」を購入した人は、長野駅でバスに乗るときにきっぷのスクリーンショットなどを見せて乗り、そのまま降りてそれだけだったのだ。そうだね、たしかに"「扇沢」到着後、駅構内にございます自動受取機にて、「WEBきっぷ」および「オプション利用券」を発券ください。"とは書いてあるけど、バスから降りたあとにきっぷをバスに戻って見せに来いなんて書いてないね、うん……。ちょっとアルペンルートのきっぷ購入は、私にとっては地味に難しかった。

 

JRの新幹線の事前受付の罠

先に書いた通り、私は新幹線の50%割引を狙って今回の旅行を計画した。富山から東京に帰る切符を50%割引で購入したかった。しかし結果として、50%割引の切符を購入することはできなかった。10%割引の切符があったので、それを購入した。

 

新幹線は事前受付という仕組みがあり、私は今回事前受付で50%割引の切符を申込みをしました。このときの私は、50%割引の競争率がとても高いことや、事前受付の申込みが不成立になるという可能性を全く考慮していなかった。50%割引で買えない、という想定をしていなかったわけですね。

 

それで、新幹線の切符の発売日は1か月前の10時からなんですね。さらに事前受付の結果が届き始めるのも同じく10時から。

事前受付の結果を待たずして、10時からの一般発売に動き始めてもいいんだけど、もし仮に事前受付で切符が購入できた場合、事前受付で購入した切符と一般発売で購入した切符、2枚が手元に発生してしまう。どちらか1枚をキャンセルできるかというと、キャンセル自体はできるんだけどキャンセル料がかかってしまう。それはイヤだ。なので、事前受付の結果を待ってから、一般発売に動かなければならないわけですね。なんだよこの仕組み!

 

お察しの通り、事前受付で申込みは、申込不成立という結果だった。「お申込みいただきました条件では指定席をご用意できませんでした」とメールが届いたのが切符発売日(乗車日の1か月前)の10時15分だった。もう一般発売が始まってから15分も経っている。それだともう当然50%割引の切符なんか残ってないわけです。

 

↓当時Blueskyに投稿したpost

えきねっと、事前受付の結果が出るのが10時以降で、一般発売が10時からなの本当にバカの仕組みでヤバい

事前受付の結果のメールが10時以降になるのはかまわない、しかしえきねっとのサイトで10時ぴったりにみられるようにしておくべきで、見られないからどんどん先に席取られていく

 

もう1か月前になると宿を始めとしたあらゆる予約をしてしまっているし、計画もあらかた立ててしまっているので、「50%割引の切符が購入できなくても行かなくてはならない!」という気持ちが働いて、結論としては10%割引の切符を取った。まんまとJRの思惑通りってワケ。まあいいのさ、結果として楽しい旅行になったから……。良い勉強にもなりました。

 

はじめての新幹線eチケットサービス

「特定都区市内制度」が適用対象外であることを知る

今回はじめて新幹線eチケットを使った。予約を進めていく中で、新幹線eチケットは紙のチケットと比べると指定席が一律200円安くなるサービスだと知った。でも、いままで紙の切符のときは乗車券において「東京都区内」のどこから乗っても(例外はあるものの)一律料金ですよ~みたいなサービスがあったはずなのに、新幹線eチケットではそれが適用対象外とのことだった。

 

「新幹線eチケットサービス」の乗車券部分には「東京都区内」「山手線内」「仙台市内」などの「特定都区市内制度」は適用となりません。在来線をご利用の際は、別途乗車券が必要となります。並行する区間の在来線もご利用いただけません。

新幹線eチケットサービス|えきねっと(JR東日本)

 

つまりどういうことかと言うと、例えば、東京駅から富山駅に行く場合、乗車券は6,600円となるのだが、新宿駅から東京駅を経由して富山駅まで行く場合も「東京都区内」の乗車券で改札を通れば、乗車券の料金は6,600円となる。「東京都区内」ならどこから乗ってもこの料金ですよ、というのが私にとっては何気に便利なサービスだった。それが新幹線eチケットでは対象外とのこと。上記の例でいくと、新宿駅から東京駅までの乗車賃が別でかかりますよ、ということになる。

 

えー!なんだよー!と思ったけれど、紙の切符と比べるとJREポイントがたくさんつく、ということで、「東京都区内」などの「特定都区市内制度」の対象外であることを受け入れ、結局新幹線eチケットを使ってみようと思った。

 

特定の都区市内駅を発着する場合の特例│きっぷのルール:JRおでかけネット

 

新幹線eチケットがモバイルSuicaに紐づけられているのか分からず不安になる

次に困ったのが、新幹線eチケットとモバイルSuicaの紐づけ。

紐づけはえきねっとにて、購入した切符の座席とSuicaID 番号を手入力する形で行う。

紐づけが完了するとその旨のメールがえきねっとから届く。どうやら紐づけができたらしい。モバイルSuica側から、紐づけができているか確認したい、と思って調べてみたのだが、そういうことはできないらしい。怖い。不安になった。

 

「新幹線eチケットサービス」の予約に交通系ICカードがちゃんと紐づけされているか、またはどの交通系ICカードに紐づけたかを確認したい場合は、以下の方法でご確認いただけます。
 ①えきねっとサイトで確認する。
 ②メールで確認する。
※「モバイルSuicaアプリ」は「えきねっと」とは別のサービスです。「モバイルSuicaアプリ」では、紐づけ状態・予約内容を確認することはできません。 

 

secure.okbiz.jp

 

ガーン!という感じだった。

 

また、最近ではJAL/ANAの航空券やApple StoreのGenius Barの予約などはApple Walletで確認できるようになっているから、新幹線も同様に、Apple Wallet上で確認できたらいいのになあと思った。

 

旅行当日、新幹線の改札を通るまでものすごく不安だった。紐づけが失敗していたり私が何か操作ミスだと操作の不足などがあって、改札にスマホをピッとしたあとにピンポーンと音が鳴って改札が閉まってしまったらどうしよう、それで色々手こずって新幹線に乗り遅れてしまったらどうしよう、と不安で色々シミュレーションしたり調べたりしていた。でもそんなことはただの杞憂で、何の問題もなく新幹線eチケットを使うことができた。

 

1日目

いつになったら旅行当日の話になるねん、と思っている方がいらっしゃるかと思いますがようやくここから当日の話になります。今回の旅行は事前準備が大変だったんだよ……。

 

東京駅で、北陸新幹線かがやきに乗る

5時45分に起床。新幹線eチケットで無事改札を通過。

 

ジェーン・スーさんと堀井美香さんのPodcast『OVER THE SUN』で度々紹介されている佐藤水産。その佐藤水産の『鮭ルイベ漬盛り海鮮弁当』がと~~ってもおいしそうで、以前からものすっごく食べたかった。島根旅行のときは横浜駅から新幹線に乗ったのですが、横浜駅には当該駅弁は売っておらず、盛岡旅行のときは東京駅から新幹線に乗ったものの時間的に駅弁を食べる余裕がなかった。今回は東京駅から新幹線に乗るし、時間的にも駅弁を食べる余裕がある、ということで念願の佐藤水産の『鮭ルイベ漬盛り海鮮弁当』を食べた!

 

aknynk.hatenablog.com

 

aknynk.hatenablog.com

 

駅弁を食べる余裕がある、とは言っても東京駅から長野駅までは1時間10分ほどで着いてしまう。北陸新幹線のかがやきの場合は、東京ー上野ー大宮ー長野が停車駅で、埼玉の大宮を出たらもうその次が長野になってしまう。近い。

 

なので、東京駅を発車してすぐ駅弁を食べ始めた。時間は朝6時45分頃。普段仕事のときは9時頃に起きているので、私にとってはあまりに早い活動開始。

隣に座った女性は早々に足元のコンセントに充電器をさして、PCでカタカタと仕事をし始めた。その隣でおもむろに駅弁を開けて、カシャと写真を撮ってから食べ始める女。

 

これがそのときの写真

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駅弁は鮭のルイベ漬けとご飯がセパレートになっていて、食べるときにルイベ漬けをトレイからご飯の上に移動させる方式になっていた。この駅弁にはおしぼりがついていなくて、トレイを触ったときに手が少しベトベトになった。

 

私のパートナーは、手がちょっとでも汚れるとすぐに手を洗う人なんだけど、このときばかりは私も手を洗いたくなり、パートナーの気持ちが少し分かった。ただ隣に仕事をしている見知らぬ女性がいるわけで、簡単に席を立つわけにもいかず、持参したウエットティッシュで手を拭いた。

 

さて『鮭ルイベ漬盛り海鮮弁当』

なんかすごいしょっぱく感じた。ちょっと私の中で期待値が高くなりすぎていたように感じた。でも経験として食べられてよかった。おいしかった。

 

そして駅弁を食べ終わったあと、大宮あたりでトイレに行きたくなってきた。しかし隣の女性に声をかけることが怖くてできない。なので瞑想タイム……自分の呼吸に集中し、意識を飛ばす、入眠できればこっちのもの……という感じで少しの脂汗をかきながら気をそらすことに必死だった。

 

こういうときに、パートナーや友人といった気心知れた人たちとの旅行がどれだけ楽かということを痛感した。トイレに行きたいとき、手を洗いたいとき、ちょっと立ち上がりたいときに何の気兼ねもない。「ちょっとトイレ行きたいんだ」とすぐ声をかけてすぐ立ち上がってもらえることの気楽さを感じた。

 

長野で、特急バスに乗る

長野駅に着いてから、事前に調べておいたバス停近くのトイレにダッシュ。つーか長野……寒ッ!!長野駅東口の25番のバス停に並ぶ。このバスは予約制ではなく先着順なので、自分が乗りたい朝9時のバスに乗れるかどうか不安だったけど、人数的にも大丈夫そうで一安心。ここから1時間45分ほどバスに乗って扇沢まで向かう予定だ。

 

アルピコ交通のスタッフの方がバス停近くで「どちらまで行きますか?」「支払いはWEBきっぷですか?」などと親切に確認してくれる。アルピコ交通の特急バスはVisaタッチができるらしく、私はVisaタッチで支払いをした。便利。乗車前にVisaタッチの準備をしておいた。

 

アルピコ交通のスタッフの方はみなさん寒そうにポケットに手を入れていた。外国人の対応にも手慣れていて、お見送りのときは手を振ってくれる方もいた。運転手さんもVisaタッチの決済のときに物腰柔らかい話し方で接してくれて、幸先の良い旅行のスタートだなと思ったことを覚えている。

 

このバスは長野から扇沢までの間にいくつか停留所があるのだが、「今日はマラソン大会があるから到着に遅れが出る可能性があるのであらかじめご了承ください」というアナウンスが最初に発せられ、驚いた。遅れてしまったらどうしよう、遅れた場合は次に乗る関電トンネル電気バスの時間指定に間に合わなくなる……!ということで事前に時間指定の変更方法などを調べてシミュレーションをした。

 

扇沢駅で有人の窓口に行って変更の旨伝えてお金を払えば大丈夫そう。しかしできれば指定した時間の関電トンネル電気バスに乗りたい。扇沢のどこに自動受取機があるのか、それは何台あるのか、どのように発券するのか、扇沢は電波が届かないかもしれないからWEBきっぷ発券用のQRコードは事前にスクショしておく、繁忙期だときっぷの購入や受取りのためにメチャクチャ人が並んでいる写真がネット上に出てくるけど大丈夫かな?……など色々調べものをした。

ここまで書いて思ったけど、私って不安すぎない?大体が杞憂なのに、すぐ不安になってお腹をキリキリさせている……。

 

トイレに行って安心したからか、まだ朝も早いからか、調べものをして疲れたからか、段々と眠くなってくる。Podcastを聞きながらバスに揺られる。ふっと目を覚ましたときに着いた駅、時刻表と比べると5分遅れだった。その次の駅は10分遅れだった。ヤバい、どんどん遅れてる……。関電トンネル電気バスに間に合わなくなるかも……とヒヤヒヤした。

 

9時に長野駅からバスに乗ると、10時45分に扇沢に到着予定だと時刻表に書いてあった。結論、扇沢には10時45分ぴったりに到着した。なんでだよ。10分以上遅れがあったのに、なぜか巻き返して時間通りに着いた。よかった~

 

扇沢に向かう途中で「あしたばそば」と書かれた看板があった。それが「あしたおそば」に見えて???となったりした。調べたところ『日向山茶屋』というお店だと思われる。

 

バスから見える山の紅葉が美しく、内心時間のことでヒヤヒヤしながらも、思わず動画を撮った。雲が厚かったけれど、山々は紅葉が始まっていて、バスの中からでも空気がピンと張りつめたようにひんやりと澄んでいるのが分かった。

 

切符の受取り方法は以下のサイトを参考にした。発券方法の動画がとても参考になった。

WEBきっぷご利用ガイド|立山黒部アルペンルート

 

扇沢で、関電トンネル電気バスに乗る

シミュレーションした通りに自動受取機できっぷを発券した。扇沢駅は普通に電波は通じたし何の問題もなかった。

 

無事きっぷをゲット

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きっぷを発券したあとに思ったのは、パスケースを持ってきたらよかったなということ。今回私はリュックで旅行に来たんだけど、いちいちリュックにきっぷをしまうのも面倒だし、かといってきっぷを生でポケットに入れるのなくしてしまいそうで怖いな、ということで、スマホケースにきっぷを挟むことにした。これで何の問題もなかったけど、各駅できっぷをスマホケースから取り出すのが地味に面倒だったので、あればよかったパスケース。

 

駅のフォントがかわいい

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11時、関電トンネル電気バスに乗る。電気バスは充電速度がとても早いらしく、驚いた。また、ずっと「おうぎさわ」だと思っていたんだけど「おうぎざわ」であることが判明。

 

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トンネル内の「破砕帯」にて水がドバドバ流れていてびっくりした。長野と富山のトンネルを掘り進めていく中で、長野と富山の工事が合わさったところは「貫通点」と呼ばれているらしかった。バスはすれ違うために道幅が広くなっているところがあり、すれ違うために度々停止したりしていた。

 

黒部ダムで、歩く

 

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黒部ダムに到着。絶景すぎてヤバい

 

黒部ダムは6月26日〜10月15日が観光放水期間と決まっていて、私は10月20日に行ったので、まあ黒部ダムの放水は見れないだろうなと予想していた。毎秒10トン以上の水が放水されていて、それが観光のために放水されているのだと知ったのは、アルペンルートのきっぷや新幹線eチケットを購入したあとだった。でも当日は運よく放水していた!嬉しい。

 

無料で写真を撮ってくれるサービスがあり(有料で購入することもできる)、一人だけどグイグイと参加。写真をもらおうと列に並んでいたところ、「これ写真買わなくてもいいんですよね?」女性の方に話しかけられて、「大丈夫だと思いますよ」と答える。こうやって知らない人とコミュニケーションが発生するのって楽しいなあと思う。

 

黒部ダムの売店で冬毛のライチョウぬいぐるみと黒部ダムのスコップをイメージしたスプーンを購入。

 

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お昼は黒部ダムレストハウスにてアーチダムカレーを食べた。

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黒部ダムレストハウスは混んでいて、事前に席を確保してから食券を購入、すぐに番号を呼ばれてカレーを受け取った。カレーはちょびっと辛くておいしかった。私以外にも女性一人で来ている方もいて、すごいなあと思った。

 

 

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黒部ダムレストハウス1Fの黒部ダム案内所でおそるおそるダムカードをもらった。初めてのダムカード。ずっと欲しいと思っていたんだ。

 


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黒部ダム、何枚も写真を撮ったけれど、結局この雄大な自然の景色の一部を切り取ったにすぎず、どうやったって幅が足りない、高さが足りない、横で撮っても、縦で撮っても入りきらないスケールの大きさがそこにはあった。

それでも、撮った写真をRAW現像しながらおお〜と口に出してしまうことがあるほど、美しい景色だった。写真を見ながら浴びた飛沫(しぶき)を思い出すことができる。紅葉していた木々のひとつひとつを思い出すことができる。歩いた道のりを思い出すことができる。ダムの放水を見ながらなぜだか泣きそうになったことを思い出すことができる。

 

近くで見ると燃えるように赤い紅葉

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光にあたって透き通る葉

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ダムの堰堤(えんてい)を歩いている際に、風に煽られて両手をあわあわさせながら、ありえないコケ方をしたおばあちゃんがいた。結構風が強かったのかもしれない。悲鳴があがり、骨折でもしたかと思ったけれど大丈夫そうだった。黒部ダム、階段や歩く場所が多いので、足腰が健康な者しか来られない、というのを度々感じた。

 

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黒部湖で、黒部ケーブルカーに乗る

黒部ケーブルカーに乗る前に、黒部湖遊覧船ガルベに乗ろうと思っていた。11/10で運航を終了するとのことだった。昔は、ツアーなどの団体旅行の客が多かったこと、いまは乗る人が少なくなったこと、だからこの事業はやめること。そうか、ビジネスとしては当たり前のことだし、私は今までガルベのことを何も知らなかったけれど、せっかくなら乗っておきたいと思った。

 

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でも、当日ガルベの乗り場まで歩いて行って時刻表を見たら、次の運航は1時間後、と書いてあって、乗ることを諦めた。ここで大事な1時間は消費できない。時刻表がネットに公開されている感じはなく(私が見つけられなかっただけかもしれない)、時刻が分からない以上、計画に組み込みづらいなと思っていた。残念!だけど仕方ない、次に進むしかない。ということでケーブルカー乗り場へ向かった。

 

www.kurobe-dam.com

 

www.kurobe-dam.com

 

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ケーブルカー乗り場で「これって上に行くんですよね?」と50~60代くらいの男性に話しかけられる。「そうですよ」と答えて会話が終わった。しかしケーブルカーに乗ったあとも私の近くにいて、「写真が好きなんですか?」などと話しかけられた。男性はアルペンルートに来るのは初めてで、もともと今日は上高地にいく予定だったそうだが、アルペンルートを見つけて今日はこっちに来た、明日は上高地に行くのだと言っていた。なんとかという池がきれいで、キハチ?がなんとかで、山の上にあるお茶屋さんが好きなのだと言っていた。MAMMUTのリュックを背負っている男性だった。

 

黒部平で、立山ロープウェイに乗る

ロープウェイのときも、その男性が近くにいて、話しかけられた。このあたりで異常性に気づき、こわくなってきた。知らない人と話せる旅ってたのしい~!よりも、ああ、女というだけで結局どこに行ってもこういう目に遭うのだと暗い気持ちになった。

 

紅葉の窓

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かっこいい建造物
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窓
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ロープウェイは、紅葉が美しく、ぎゅうぎゅう詰めのなかみんな写真や動画を撮っていた。ロープウェイは、上にのぼるタイプのロープウェイなのですが、その男性がスマホで紅葉の写真を撮ろうと窓に手を伸ばしてきて、それがちょうど私の頭をかすめる感じになっていて、頭を撫でられてる感じになって本当にキショかった。ぎゅうぎゅう詰めだから逃げることもできない。単に撮りたくて手を伸ばしてるだけかもしれないから「やめてください」とも言えない。もぞもぞと身動きするので精一杯だった。

 

段々と気が気じゃなくなってきたところで、大観峰駅に到着した。

 

大観峰で、立山トンネルトロリーバスに乗る

大観峰は、少し階段をあがると絶景が見えた。

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トロリーバスの時間まで少しあったのでベンチに座って休憩をしたり、景色を眺めたりしていた。例の男性が近づいてくる気配があるとがんばって巻いて、逃げた。するとそのうち話しかけられなくなった。しかし、次のバスが来るまで我々はここに留まっていることしかできず、私も、例の男性も、おそらく同じ時間のバスに乗るだろう、と予想はついた。

 

トロリーバスは1台だけではなく、3台くらい来ていたので、例の男性と同じバスにならないように、と祈りながら乗車した。そして無事回避できた。

 

急いで撮ったバスの写真。例の男性にかち合いそうで写真もおちおち撮っていられない

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国内唯一の乗り物、トロリーバス。11/30がラストランであるトロリーバス。部品の調達が困難になったとのこと。来年電気バスに切り替わるらしい。ラストランのカードをもらった。ガルベに続いてトロリーバスも……。

 

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大観峰にいるバスのスタッフは青いジャンパーを着てシュッとしていてかっこよかった。駅の看板の英語フォントが良い。

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www.alpen-route.com

 

 

室堂を歩く

室堂に着いた。着いた瞬間、あまりの自然の大きさに、例の男性のことなどすぐ忘れた。息を呑む、とはこのことだった

 

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ホテル立山の売店でレトルトカレーのお土産を買った。郵便局ではアルペンルート通行証明書を買いたかったんだけれど、郵便局が14時で閉まってしまうため(早い)、間に合わなかった。

 

ひたすら歩いた。歩いて歩いて歩きまくった。

 

澄んだ空気。雲海。

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「あれ知ってるー?雲海だよ~」と父親が子どもに声をかけていた。

子どもは「だから何ー?」という顔をしていた。

わかる。「だから何ー?」ではある。

自然のでかさも、何もかも、だから何?ではあるんだけど、圧倒的な存在、その大きさに訳もわからず納得させられる感じが私にはあった。「なるほどね」となるというか。

 

登山は瞑想に近いと思っているんだけど、それに近い感覚だった。ただ歩き回り自然を目の当たりにするの、いいなと思った。もっと登山をしてみたいと思った。心が整う感じがする。

 

歩きづらい岩の階段。写真じゃ絶対に伝えられない、美しさがそこにはあって、ただ感じながら歩き続けた。

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この階段をずっと歩いた。

こんな軽装で歩いてるの私しかいなかった。

みんな登山靴とか履いてた

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宿泊はみくりが池温泉に泊まった。

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みくりが池温泉の相部屋のベッドに転がりながら、みくりが池温泉のことをめちゃくちゃ調べた。荷物の預け方、温泉の入り方、タオルや浴衣の買い方、券売機の内容とか色々…

 

初めての相部屋で、ドキドキした。相部屋だから、荷物を盗まれるかもしれないという恐怖が常に付き纏った。温泉に行くとき、出入り口のロッカーに荷物を預けて、脱衣所に向かったが、脱衣所にもちゃんと鍵付きのロッカーが存在していた。それならば、と出入り口のロッカーに戻って荷物を取り出し、脱衣所に戻って荷物をしまう、みたいな謎の行動をしてしまった。スタッフの人には不審者だと思われただろう……。

 

夜ご飯は19時からだったので、少し時間があった。相部屋の、二段ベッドの下の階に布団を敷いて寝転がり、かっぱえびせんを食べながら、ネットで見られるライブカメラで人の状況を見ていた。星空でも見てみようかと思って、盗まれるのが怖いから全部の荷物を背負って外に出てみたけど、歯がガチガチいうくらい寒すぎて5分で部屋に戻った。それなら荷物を背負わずにちらっと外に出て見ればいいだけなのに、盗まれるのが怖すぎて一人で勝手に大荷物……。しかし美しい景色だった。星もよく見えた。

 

寒すぎて手が震えて写真の設定もまともにやらずにとりあえず切ったシャッター

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部屋に戻ってふと気づいたこと。今日、モバイルバッテリーを一度も使ってない。バスにはコンセントがあったし、そもそもそこまでスマホを使う時間がなかった。デジタルデトックス……。

 

ドア付近の部屋だったので、同室の人と少し会話できたのも楽しかった。

 

あと、支払いはVISAタッチが使えてとても便利だった。アルピコ交通のバスに限らず、黒部ダムの売店や、ホテル立山の売店、どこでもVISAタッチが使えた。VISAタッチが普及していた。東京のスーパーでVISAタッチが使えないことも多くあるのに、ここはそういった利便性が高く、それもまた良いなあと思ったポイントだった。

 

夜ご飯。

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席は事前に決まっていた。たまたまだったのかもしれないが、長机に男女が向かい合う形で席の配置が決まっていて、合コンっぽさを感じてちょっとそこがイヤだった。みんながみんな異性愛者だと思うなよ。しかしこういう、山小屋の合コン席という山の出会いによって人は交際を始めたりするんだろうか…?私は誰ともしゃべりたくなかったので、明後日の方向を向いて黙々とご飯を食べた。お皿にハエが止まったり、髪の毛が入っていたりしたけど、まあこれもホテルでは味わえない、山小屋の醍醐味なのでしょうということで特に気にせずにいた。食事は色々品数があったけれど、あらゆる小皿に海藻やきのこが入っていて、食材のかぶりがすごかった。きっとここまで食材を運んでくるのってすごく大変なことなのだろうなと思った。

 

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固形燃料の鍋、いつ火が通るんだろうとチラチラと鍋の様子を見て、まあ頃合いでしょうというところで私は勝手に鍋の蓋を開けて食べ始めた。私の行動を見た周囲の人たちが次々と自分の鍋の蓋を開け始めて、なんだかな~と思った。それくらい自分で判断しろ!死ぬわけじゃないんだから!

斜め向かいにいたおじいちゃんはスタッフを手で招いて「火が消えちゃったんだけど!」と言っていた。私が見ている感じ、そのおじいちゃんは、火が消えたということを指摘したいのではなく、蓋を誰かに開けてもらおうとしていたのだ。なんだこのジジイは……。蓋くらい一人で勝手に開けろ、その判断くらい自分でやれ、と私は思っていた。するとスタッフの人が「それ15分すると自然に消えるので」とあっさりとした返しをしていてマジで最高だった。誰かに世話をしてもらうのではなく、自分のことは自分でやる。それが山小屋。よかった。

 

部屋に戻り、部屋に充満する硫黄の匂いと、知らない人の寝息たちと共に、いつもより早く眠った。夜が明けるまでこの町からは出られない人たち、しかしもう二度と会わない人たちの集まり。

 

2日目

ライチョウを見る

5時45分に起きて、化粧をした。6時15分からバイキング形式の朝食をいただき、7時に出発した。お土産コーナーに湯の華があったのでつい購入。8時発のバスに乗る予定だが、1時間またゆっくり室堂を散策しようと思った。

 

……ん???

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ライチョウがいた。
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もうライチョウを見れただけで、ここに来た甲斐があった、と思った。独り占めだった。誰も気づかずに通り過ぎていく。私だけがこのライチョウの存在に気づいている。通り過ぎて行った人が「ライチョウいるんじゃない?あの人写真撮ってるよ」と家族に話しかけていて、私は小さく頷いたけれど、彼らはこちらにはやってこなかった。ありがとう、ライチョウ……。

 

飽きもせず何十分もライチョウを見ていた。まるっこくて、足が太くて、動きは最小で、とてもかわいかった。ライチョウと私の間には柵があり、カメラのレンズをギリギリまでズームして、それで何とか撮れたのが↑の写真だった。かわいい。足にはラベルがつけられているから、管理されているのだろう。大事にされているんだろうなと思った。

 

羽は前日に買ったぬいぐるみのようにまっしろの冬毛ではなくて、まだ秋の装いのように見えた。まっしろになったらまたかわいいのだろうな……。

 

朝の張りつめた冷たい空気が頬に刺さる。気持ちがいい。足を始め身体に疲れが残っている。ライチョウに別れを告げ、ただ歩く。途中、キレンジャクという鳥の鳴き声が聞こえた。美しい声だった。太陽の光が山の向こうから少し差し込んでくる。

 

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室堂で、立山高原バスに乗る

8時始発に乗って10:40くらいに電鉄富山につく予定。大観峰と同様、室堂のスタッフも青いジャンパーを着ている。きれいな青。かっこいい。

 

バスは、右側に座ったほうがいいと思った。右側のほうが絶景ポイントが多かった。ただ、絶景ポイントに合わせて乗客が景色を眺めたり写真を撮れるように都度バスのスピードをゆるめてくれて、それがとても嬉しかった。私は左側に座ってしまい、若干ミスった感があったけど、それでも絶景だった。

バスの中では場所に応じたアナウンスと映像が流れていたんだけど、あれはどうやっているんだろうなあと思った。アトラクションみたいでとても楽しかった。

 

美女平で、立山ケーブルカーに乗る

フォントがかわいい「びじょだいら」

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ケーブルカーにはカゴがついていて、これで荷物を運ぶらしい。便利

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立山で、富山地方鉄道に乗る

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電鉄富山で、富山駅へ向かう

 

『廻転とやま鮨 富山駅前店』で鮨をたべた。『廻る富山湾 すし玉 富山駅店』と迷ったけど、とやま鮨にした。室堂から富山駅までどんなに頑張っても3時間くらいはかかって、お店の開店は11時。1巡目で入れないとこのあとの予定にも支障が出るので、なるべく1巡目で入りたかった。

 

10時45分、開店まで15分前でまだ誰も並んでいなかった。月曜日だからかもしれない。そこで堂々とトップバッターで並べばいいのに恥ずかしいしこわかったので、とやマルシェを物色した。かりんとう饅頭を買って戻る。10分前に人が並び始めていたので、私も合流。無事一巡目に入れた。

 

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特上握りランチを食べた。

あんかん、大トロ、キジハタ

のどぐろ炙り、カニ、鏡鯛、甘えび

白えび いくら昆布じめ まぐろなかおち

とのこと。

さび抜きで頼んだけどわさびが入っていて、でもまあいいかと思ってそのまま食べた。

追加でほたるいかの黒作りとねぎとろ、いかの炙りを食べた。

 

開店と同時に入店したためか、お湯の蛇口から水が出ていた。大将らしき人が「すみませんねー!」と元気に謝罪し、ホールのおばちゃんが「すみませんねえ」と言いながら湯飲みを回収しにきて、なんだかほんの些細なコミュニケーションで心がゆるんだ。「でもまあ終わりよければすべてよしですからね」というようなことを大将が言っていて、よくわからなかったけど、とにかく元気な人だなと思った。

 

一貫無料サービス(ネタは大将におまかせ)のクーポンでいかの炙りをいただいたのだけれど、同じくクーポンをお願いした隣のお客さんが「苦手なものはない?」と大将に聞かれ、お客さんが答えるが早いか大将が「大丈夫だよ、おれを信じて!」みたいなことを言っていた。大将を信じるか信じないかで苦手を克服できるものではないと思うんだけど、まあとにかく自信があるんだな~と思って、他人事だからちょっとおもしろかった。

 

「電車の時間おっしゃってください」「大きいお荷物がありましたらあちらに置いてくださいね」ととにかく元気なかけ声で煙に巻かれるかのような食体験だった。この店は、明らかに観光客の方を向いてビジネスをしているな、と思った。

 

 

富山散策に際して、電車や路面電車やバスなどいくらでも公共交通機関はあったんだけど、Suicaが使えるのかわからなくて、結果として歩いた。

 

以下のサイトを見るに、富山地方鉄道は、電車や路線バスはSuicaは使えなさそうだと思った。一方で市内電車は使えそう。

 

電車・市内電車・路線バスの乗り方 | 富山地方鉄道株式会社

 

市内電車というのは路面電車のことなのか?う~~ん……電車と市内電車、路線バスの定義から教えてくれーッ!(定義厨)となり、調べることに時間を費やすよりも歩いたほうがマシだと判断して歩いた。こういうときに、ちゃんと人に聞けばいいのに、こわくて聞けなくてインターネットでの調査に時間を使ってしまうのが私……。

 

続いて行った日枝神社には、ヒヨドリやミソサザイ、メジロなどがいた。


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めちゃくちゃ外国人観光客向けにビジネスしてた

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富山駅、駅の中に路面電車の踏切(?)があってよかった
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この像、なんかとてもよかった

愛とはこの像のようになめらかな形をしていると思う
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富岩運河環水公園に行った。
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きれいだし、落ち着くところだけど、アルペンルート、特に黒部ダムや室堂といったでっかい自然を目の当たりにしたあとだと、インパクトとしては劣るなと思った。十分きれいだけど、刺さらないというか。たくさんの人が散歩したりスタバを飲んだりシートを広げてごはんを食べていたりして、そういう光景に和んだ。

 

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富山駅の『放生若狭屋 とやマルシェ店』で買ったかりんとう饅頭をおやつに食べた

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帰りの新幹線で、同じ富山駅から乗ったふくよかな男性が、私が予約したはずの窓側に座っていて困った。おそるおそる声をかけると「あ、そう?」とタメ口を聞かれて嫌な気持ちになった。謝罪もなかった。その男性は、車内販売の方に「ペットボトルの水」「いくら?」と王様のような声のかけ方をしていて、「缶でのご提供になります」と返されても「うん、いくら?」とタメ口を継続していてすごかった。

 

私は気になり始めるとすごく気になってしまう性格で、なんかその男性がお土産で買ったのかなんなのか丸い鯉のぼりみたいなキャラクターがデザインされた丸いシールを、新幹線って結構揺れるのにその中でテーブルを出してスマホケースにシールを貼ろうとしているのを見てしまった。1枚目のシールをスマホケースの中央に貼り付けてそれで終わりかなと思ったら、2枚目を貼ろうとしていてイヤどう考えても1枚目の場所ミスってるだろ~!と心の中で突っ込んだりしていた。その人のスマホには「ポンポコリン」って名前がついているのもなぜか目に入ってしまって、自分の体型に関して自覚があるんだな~と思ったりもした。マジでどうでもいい話……。

 

 

お土産で買った鱒寿司。

富山駅のとやマルシェの中に入っている『富乃恵』では、色んなメーカーの鱒寿司が売っていて、私が狙っていたのは『青山総本舗』のものだったけれど、お店が定休日でその日は入荷していなかったらしく、いくつかおすすめをしてもらった中から『鱒寿し本舗高田屋』のものを購入した。

 

鱒寿司って食べるの難しいのね。ケーキみたいに食べるの。食べ方を調べつつ、木の枠を外して付属のナイフでなんとか食べた。おいしかった。

 


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おみやげ

パートナーが温泉好きなので湯の華を買ったのと、黒部ダムでシャベルの形をしたスプーンを買った。実は家にはパートナーが以前黒部ダムに行ったときに買ってきた三角シャベルスプーンがあって、今回私はこちらの四角いほうのアイス用のシャベルスプーンを買ったのだった。

 

また、お土産にはホテル立山のレトルトカレーを買ったんだけど、実はパートナーはホテル立山でカレーを食べたらしい!運命すぎる。うれしかった

 

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行きたかったけれど行けなかったところ

  • 地元スーパー
    • マルートでフレッシュマートやホクヤなどは見たのだけれどもっと地元の人が普段使っているスーパーを見て回りたかた。アルビス エスタ店も狙っていたのだけれど時間が足らず断念。次は行きたい。
  • 扇一 ます寿し本舗
  • 鱒の寿し まつ川
  • Tearoom Alps
    • 平野紗季子さんが行っていて、私もぜひ行きたいと思っていたところ。定休日で行けず
  • フェルヴェール 富山駅店
  • ぼてやん多奈加
  • レヴォ
    • 富山といったらレヴォ、だがしかし場所的にも時間的にもどう考えても行けない。だれかdistination restaurantsに行ってくれる友人になってくれないかーッ!金も時間も出します、なんでも差し出します。能動的に食べます。誰か~~~ッ!

 

おわりに

アルペンルートは、五体満足のひとじゃないと行くのは厳しいだろうなと思った。ベビーカーが必要な子ども連れ、車椅子の人、足腰が強くない人、そういった人は行けないことはないだろうけど誰かの支えが必要だと思った。


今回一人で行けて本当によかった。そしてまた行きたいと思うのは、自分の身体が引き続き健康でいてほしいという祈りも含んでいる。

 

今回アルペンルートを横断するのに際して、無印の『肩の負担を軽くする 撥水上から開くリュックサック』を買った。普段1泊2日の旅行だとトートバッグとショルダーバッグ2つで行動するんだけど、アルペンルートの場合、ホテルに荷物を預けるといったことができないというか、常に荷物を共に行動をしなければならず、より身軽に、両手を塞がないように行動するためにリュックを買ったのだった。これが結構よかった。リュックの便利さを改めて実感した。

 

手袋やマフラーなしで死ぬほど後悔、というわけでもない、けど寒かった。冷たい空気が心地よく、手が悴む中でライチョウを撮影したのはいい思い出となった。ライチョウに出会えて本当によかった。

 

↓パートナーが以前買ってきた夏毛のライチョウぬいぐるみと合流した冬毛のライチョウぬいぐるみ

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言語化という呪い 言葉にしなくても伝わる祈り

 

本文

「言葉にしないと伝わらない」と「言葉にしなくても伝わってほしかった」というようなことをパートナーから度々言われて、私としてはそんなの矛盾してるだろうと私は思っていたのですが、

 

昨日ふと、パートナーと私の場合は、"言葉"って邪魔だなと思う瞬間があった。


言葉だと伝えたいことが全然伝わらないどころか、言葉で傷つけたり、言葉足らずだったりすることのほうが多いと気づいた。

 

私は「言葉にしなくても伝わる」関係性とは、それまで言葉を尽くしてきた過去があって、その積み重ねによって「言葉にしなくても伝わる」関係性ができあがるのだと思ってきた。


だから「言葉にしなくても伝わってほしかった」とパートナーが言うのなら、「言葉にしなくても伝わる」関係性を目指して今は言葉を尽くしてほしいとお願いしてきたし、私もたくさんパートナーに向けて自分の思いや考え方を言葉にしてきた。

 

でも、この考え方は違うのかもしれない、と昨日気づいた。

 

言葉だと伝わらないことがあるということ。

言葉という枠組みに当てはまらない思いや考え方があるということ。

さらに言葉の定義や捉え方は人によって違うからズレが生じることは避けられないということ。

 

心の中にある純粋な思いや考え方を言葉にしようとすると、 どう頑張っても、ノイズが乗る感じがする。純粋な思いや考え方だけ届けたいのに、いらないものが乗っかってしまっている気がして、言葉って邪魔だなと思った。

 

「言葉にしなくても伝わってほしかった」とパートナーがずっと言ってきたのは、「心の中にある純粋な思いや考え方がそのまま届けばいいのにな」というようなことで、祈りみたいな、そういうものなのかもしれないと思った。

 

私はこれまで、心のどこかで「言葉を尽くすこと」をものすごく尊いものだと思ってきた。他人同士どんなに分かり合えなくとも、「言葉を尽くす」という火を決して絶やしてはならない、と思ってきた。

言葉を尽くした先に、言葉にしなくても分かり合える関係性があると考えてきたけれどそんなの全くの幻想なのかもしれないと思った。

 

以下、今までのツイートの振り返り

 

ツイートの振り返り

言葉という箱、言葉という枠組み

私はずっと自分の心にある思いを言葉という枠組みになるべく正確に表せるように努めてきた。なるべく自分の心と自分の言葉に差分が出なくなるように、言葉の純度をあげたいと思ってきた。

 

 

そして、私の気持ち、思いを、他人の言葉という箱に無理やり詰め込まれることをひどく嫌った。

 

親「あなたが嫌がるかと思って」

親から「あなたが怒るかと思って」「あなたが嫌がるかと思って」と私の心を勝手に解釈されてきた。また、「あなたがそう言ったから」と私の発言をエビデンスにされてきた。

 

***

「あなたがそう言ったから」と親から言われると、そんな逃げの言葉を使うなと思っていた。そんなの、私のことを尊重するふりでしかないと思ってきた。私の発言をエビデンスにして、親が自身の行動を正当化する、ということを無限にやられてきて、それがすごくイヤで、私の言葉なんか関係なく、お前(親)がどのように行動したいかでしかないだろ、と思ってきた。

 

私は、確認してほしかった。

私の気持ちを、聞いてもらいたかった。

そうしてもらえないときには、私の心を無視されているように感じて、悲しかった。

 

親友「なんで怒ってるのか言えないなら不機嫌になる資格ないよ」

感情が遅延するという私の特性と、当時の親友から「言葉にできないなら態度に出して人のことをコントロールしようとするな」と言われたことについて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで怒ってるのか言えないなら不機嫌になる資格ないよ」って当時の親友に言われたことが私の中でトラウマになっているのかもしれない、と気づいた。この言葉を言われたときに、自分の中で、「言葉にできないなら態度に出してはいけない」と強く思ったのは覚えている。言葉にできないまま態度に出すことは罪なんだ、と今でも思う。

 

私は子どもの頃のトラウマ由来か、マイナスの感情が遅延してその場では感じることができないし言葉にできないという性質がある。

 

しかし、そんなことは他人には全く関係なく、言葉にしないといけないんだ、そうでないと態度に出してはいけないんだ、と強く心に刻み込まれている。感情の遅延があろうとなかろうと、とにかく態度に出しそうなときは「なんでか分からないけれど今感情がつらい」などと何らか言葉を発さないといけない、と今でも思っている。でもそれができなくて苦しんでいる。

 

その他、言語化の呪い

 

 

言語化しないといけないという思いこみ

感情と言語化 全般の話

 

 

パートナーに対すること

 

 

 

 

「言葉を与える」って、なんて傲慢な態度だったんだろうと今は思う。

感情を表情から読み取ったり、その場で何が起きたのか把握するのがパートナーは苦手だからと、言葉にして説明してあげないといけない、と私は思っていた。パートナーはその場で何が起きたのか分からなくとも、何かまずいことが起きた、ということは察知しているし、細かい感情の機微までは分からなくとも、私が傷つき悲しんでいることも瞬時に察知している。もう、それだけで十分なのではないか。事細かな状況説明や、感情の情報というのは、パートナーにとっては情報過多なだけだ。必要なのは、一番大事なことだけ。大事な人が傷つき悲しんでいる、というたったそれだけでよかった。「言葉にしなくても伝わってほしかった」という言葉を通して、パートナーはずっとそういうことを言ってきてくれたのかもしれない。

 

言葉を尽くす必要は無い

カウンセラーの先生に「言葉を尽くす必要などない」と言われたとき、なんとなく、嬉しかったのを覚えている。

 

言語化して伝わらないと悲しい、いわゆる「嫌知らず」

***

 

最近「嫌知らず」という言葉が話題になっていた。嫌と言っているのにその言葉を受け取ってもらえないこと。「そんなに嫌ならそのときもっと本気でちゃんと言えばよかったじゃん」と「感情的に、ヒステリックになるな」の板挟みで苦しんできたこと。

当たり前のことだけれど、言葉にしてもそれが伝わらないと、悲しい。

 

ただし言語化を強要するのはよくない

 

相手が言葉にしたいのなら、それを聞く、で構わない。

とにかく待つこと。

言葉をもらえなくて不安になるときは、相手の言葉を使って自分が安心したいだけだと思い至ること。

人には言葉にしたいときも、したくないときもあり、それをまずは尊重すること。

口に手を突っ込んで無理やり話させるようなことはしてはいけない。

相手が話したいなら話せるよう、安心で安全な環境を私がつくること。

相手が話したくないなら話さなくても大丈夫だよという雰囲気を私が作ること。

 

このまえパートナーと一緒にいるときに「あなたの態度が怖いから、話すのが怖い」と言ったら「怖いとか言ってたらいつまで経っても話し合いが進まないよね」と言われてすごくつらかったけれど、そんな態度ではどうやったって相手は話してはくれないと思う。

 

心が伴わないうわべの言葉

 

 

自分が内心でどう思っているかにかかわらず、言葉でならいくらでも嘘をつけるだろうと思ってきた。私が傷つき悲しんでいるときには、相手がどう思っていようとも「それはつらかったよね」と言ってほしいと思ってきた。でも、私は、相手がうわべだけの言葉で寄り添ってきているかどうかは本当は分かっていて、そんなうわべの言葉はいらないと思うときもあった。

他人同士である以上、100%の共感というのは不可能で、想像力を働かせながら共感していくしかないけれど、結局、本心からの寄り添いを求めていた。わからなくても構わないから、隣にいてほしいと思った。

深い穴の底でひとり泣いているとき、穴の外から「大丈夫ー?」「つらかったよねー!?」と大声で叫んでくる人に「大丈夫だよー!」と声が届くよう大声で返すようなコミュニケーションではなくて、深い穴の底に降りてきて、同じ目線で、隣で、黙っていてくれる人のほうがいい。

 

「言葉にしなくても伝わってほしかった」発言の真意を取り違えていた

 

 

そして昨日気づいたことは本文に書いた通り。

 

言語化しなくても伝わる

 

パートナーは私の表情を一目見るだけで、私が嬉しいか悲しいかすぐ分かる。「すぐ顔に出るから分かりやすい」ってパートナーは言うけれど、今まで私は「顔に出ないから分かりづらい」と言われてきたほうだった。だから言葉にしなくても分かってくれることがとても嬉しい。この気持ちを忘れずにいたい

 

とはいえ言語化してくれたときには最上級の感謝を

 

うわべだけの言葉で救われることもある。

言葉にして初めて伝わることもある。

でも「言葉にしないといけない」「言葉にしないと伝わらない」というわけでもなく、「言葉にしなくても伝わることがある」「言葉にしないからこそ伝わることもある」ということに気づいた。

ただ、言葉にしてくれたときは、それだけで「ありがとう」なんだなと改めて思った。

 

補足

テレフォン人生相談

 

森田蓮次/萩本創八『アスペル・カノジョ』

 

新卒のときの会社の先輩

 

オードリー若林さんのInstagramのストーリー

パートナーの繊細な心のアンテナ

パートナーとまた喧嘩をしています。

今回の喧嘩でまた色々な気づきがあったのでその備忘録。

 

 

最近喧嘩したこと

三連休の前日の金曜日、録画していた『あちこちオードリー』というテレビ番組をパートナーと見ていました。ニューヨークの嶋佐さんが「シャバい」という言葉を頻繁に使っていて、私は「シャバい」という言葉の意味がよく分からなかったのですが、パートナーはテレビを見ながら笑っていました。パートナーは「シャバい」の言葉の意味が分かるようでした。

 

テレビを見ながら手元のスマホで「シャバい」の意味を調べました。

ひ弱、根性なし、冴えない、といった様子を表現する俗な言い方。とりわけ、普段はいきがっているのに、窮地に立たされると途端に弱腰になる様子を指すことが多い。*1

 

なるほど。言葉の意味は理解した。しかし、番組内で嶋佐さんが使っているのは、本来の言葉の意味を少し拡張して使っているような気がした。辞書的な意味と嶋佐さんが使っている言葉の意味のギャップがある。そのギャップが、私はあまり理解できなかった。

 

「〇〇は"シャバい"って表現で合っている?」「こういう意味?」などパートナーに質問しては説明をしてもらった。しかしやっぱり理解できなかった。もとは『ビー・バップ・ハイスクール』から来る言葉らしいが、私はその作品を知らない。

 

「OK Google,"シャバい"の意味教えて」とGoogle Nest Hubに聞いてみたり、「番組を見た人みんな、"シャバい"の意味を理解したんだろうか?」「"シャバい"の意味を知らない人はこの番組をどういう気持ちで見たんだろう?」という思いでTwitterで同じ番組を見た人の感想を調べた。

 

そのうちに、段々と悲しくなってきた。

「私だけ"シャバい"の意味がわからなくて悲しいなあ」と私は呟いた。

なおもパートナーからの怒涛の説明は続く。声が大きい。うるさい。

 

 

じきに、悲しみがより明確なものとなってきて、私は黙り込んでしまった。まずい、と思いながらも、態度に出してしまった。するとパートナーが怒り始める。

 

「私は別に"シャバい"という言葉の意味を知りたいわけじゃないんだよ」と言うと、「じゃあGoogleに聞かなきゃいいじゃん、Twitterで調べなきゃいいじゃん」とパートナーが怒鳴る。

 

「そうだね、Googleに聞いたりTwitterで調べた私が悪いね、ごめんね」と返すと、パートナーからは「またそうやって被害者ムーブをする」「"私が全部悪いんですよ"って言ってる時点で"俺が悪い"って言ってるようなもんだよ。楽しい週末の金曜日をぶち壊しだよ。なんなんだよ。人の気持ちなんてなんも知らないで。うるせえ。ほんとに嫌な人間」とパートナーから返ってきた。

 

なんなんだろうこれは…?と苛立ちや白ける気持ちがありながらも、「ごめんなさい」と謝った。別に私としては悪意があったわけではない。しかし悪意の有無はどうでもいいことで、私の態度に問題があって、パートナーは傷ついたんだと思った。だから、私の気持ちはどうあれまず謝った。すると、「自分が悪いと思ってる態度?それ。」と返ってくる。

 

「最悪だよ、気分が」と言い捨てて、大きなため息をつき、大きな足音を立てて、パートナーはリビングから出て行った。

 

私の気持ち

頼んでもないのに説明されて悲しくなった。「"シャバい"の意味説明しようか?」とか確認されたら私はNOと言えたんだろうか?私はパートナーの一生懸命な説明を、受け入れるべきだったのだろうか?求めてない説明でも、嫌な顔をせず受け入れるべきだったのだろうか?

 

パートナーは解決型の思考で生きている。「あなたが求めている反応とは違うのも気がついていたのに、一生懸命わかって欲しくて説明した」と言っていて、言葉の意味を理解すれば、私の悲しさは解消されると踏んで説明をしている。なお、「あなたが求めている反応とは違う」と冷静になれば気づくことができる。

一方、私は「私だけ"シャバい"の意味がわからなくて悲しいなあ」と言った、その「悲しい」という気持ちに「そうか、悲しいんだね」と寄り添ってほしいと共感を求めている。私たちの関係性は「解決」と「共感」のすれ違いでずっと喧嘩をしていて、少しずつではあるがパートナーも「共感」を習得してきているように思うし、私もパートナーの「解決」を理解してきている。でも今回はうまくいかなかった。

 

 

パートナーに関すること

パートナーが持つ、やり返しの思想とお互い様の理論

先日、パートナーの行動と似ているな、と思う出来事があった。これもまたオードリーの番組なのだが、『オードリーのオールナイトニッポン』を聞いていたときのこと。

 

春日さんが妻にヨーグルトを買っておいてほしいと頼んでいたにも関わらず、妻がヨーグルトを買い忘れたときの話をしていた。「忙しかったから(頼まれていたヨーグルト買うの忘れちゃった)」と言った妻に対して、春日さんは「おれのほうが忙しかったけどね」返して、夫婦仲が険悪になったというエピソード。

 

パートナーも同じだ、と思った。パートナーも「おまえだって悪い」「おれだってつらい」「お互いつらいのだからお互い様だろう」と度々言っている。言い返してくるというか、張り合ってくるのだ。張り合わずにはいられない。言い返さずにはいられない。やり返さずにはいられない。そして、お互いのつらさをぶつけて相殺しようとしてくる。

 

 

そして、「不機嫌な態度で誰かを困らせてたり嫌な気持ちにさせる相手には、おれも不機嫌な態度で困らせたり嫌な気持ちにさせていいと思った」ということも度々言っている。怒っているそのときは、やり返すことを是としている。(冷静になると、このやり方はよくない、と分かる。)

 

 

少なくとも私は相手が不機嫌になったときにやり返していいと明確に思ったことはない気がする。(結果的にやり返す形になったことはあると思う。ただ、それを意図的にはやってない)

 

パートナーがやり返すという行動に出るのは、私がパートナーが嫌がることを分かっておらず、自分も同じ目に遭わないと分からないのではないか?そういう気持ちでやり返しているのが大きい、と言っていた。ただ、やり返しはいい行動だとは思えない、とも言っている。分からせるために、やり返しているのであった。同じ目に遭えば嫌だと分かるだろう、と。

 

パートナーにとっては、私のスンッやズーンというネガティブな態度と、パートナーの怒りや怒鳴りが天秤で釣り合うくらいの重さがあるのだろうと思っている。それくらい嫌なことなのだと。ただ、それを分からせるために、なぜパートナーが怒り、怒鳴るということを選択するのか、私には分からない。

 

張り合わずにはいられない。言い返さずにはいられない。やり返さずにはいられない。そうしないと生き延びられなかった過去のパートナーがいるのではないか。過去のパートナーは今でも過去に置き去りにされたまま、泣いているのではないか。

 

パートナーが嫌がること

パートナーが嫌がることは、私がスンッと黙り込んだりズーンと沈んだりと、いきなりネガティブ態度を出すこと。パートナーにとってはいきなり私の態度が豹変して、ネガティブな態度をぶつけられているように感じるのだというようなことを以前言われた。私のスンッやズーンという態度はパートナーにとってものすごく攻撃的で、不愉快で、つらいものなのだと思う。何度もやめてほしいとパートナーから言われているにもかかわらず、私はこれをやめられない。申し訳なく思っている。どうしたらやめられるのか、分からなくて困っている。

 

ネガティブな感情を感じるな、と言っているわけではない。どんなことを感じてもいいし、思ってもいい。でも、その感情を外に出して他人にぶつけるか、ぶつけないかはその人自身が選択できるはずだとパートナーは言う。

 

なぜネガティブな態度をぶつけられることが嫌なのか、やめてほしいのか、その理由が分からなかったとしても、納得できなかったとしても、おれは嫌だと言っているのだから、あなたはその態度をやめるべきだ。それができないなら離れるべきだ、とも言う。

 

また、パートナーからのメッセージに「気をつけていても、ついやってしまうのは仕方がないということではない」「なにかと理由をつけて(例えば感情が遅れてくるから仕方がない、生理の影響があるから仕方がない)それを受け入れ続けていることが嫌です」と書いてあった。

 

厳しいな、と思った。

 

パートナーの上記のメッセージはつまり、私にどんな特性があろうとも、どんなトラウマ、体調の悪さがあろうとも、私の体調や心情や状況にかかわらず、24時間365日いついかなるときでも、スンッやズーンといったネガティブな態度をぶつけられたくない、ということなのだと思う。

 

これまで何度も嫌だ、やめてくれと言われてきて、完璧にゼロにすることは難しくても、減らすよう努力はしてきた。

例えば、態度に出す前に言葉で伝えることが以前よりは増えたと思うし、仕事で離れているとき、帰路につくパートナーに対して「今日ちょっと ぴえんかも」と事前予告してから会うということも試している。いきなり感情を突き付けるのではなく、パートナーに十分な心の準備ができるように、色々試みてはいる。

 

しかし、私はロボットではなく生身の人間なので、いつ嬉しくなるか予想ができないのと同様、いつ悲しくなるか、つらくなるかの予想ができない。

 

そして私はトラウマ由来だかなんだか知らんけど私は感情が遅延してくるタイプなので、感情を瞬時に察知して言語化するのがとても難しい。

 

そしてパートナーがなぜ"感情をぶつけられている"と強烈に認識しているかについて想像を巡らせてみると、もしかすると、ネガティブな感情を誰かにぶつけることを許されなかった過去があったのではないか?と思ったりもした。「自分の機嫌は自分で取るべき」という理論で抑圧されてきたからこそ、誰かに自分の機嫌をケアしてもらえず自分で対処するしかなかった人生だからこそ、自分の感情を表現する私に対して許せない気持ちや怒りを感じるのではないか、とも思ったりした。でもちょっとこの想像は違う気もする。

 

私がネガティブな感情を出すとき、パートナーからしてみたら、「自分のネガティブな感情を自分でコントロールしないで、他人にぶつけている人」と見えるのだろうと思う。パートナーは「自分で処理し、他人を尊重したうえで、相手に頼ったり甘えることをしないあなたにイラつきました」と言っていて、私がネガティブな感情を出すことでパートナを不愉快にさせ、「尊重してもらえていない」と感じさせている。

 

(補足)会話のキャッチボールについて

パートナーは、普段会話のキャッチボールというのがなかなかできない。

以前以下の記事を書いたけれど、"無視"というよりコミュニケーションのプロトコルが違うんだよね。

 

aknynk.hatenablog.com

 

 

具体的には、以下のような感じ。

  • 私が投げたボールは、パートナーから「受け取りましたよ」のサインが送られてこないことが多い
  • パートナーはパートナーが投げたいボールだけを投げる

 

つまり、パートナーはパートナー自身の気持ちを色々送ってきて、私はその都度相槌を打ったり返事をしたりと「受け取りましたよ」のサインを送る。しかし、私が私自身の気持ちを色々送っても、「受け取りましたよ」のサインが返ってこないということ。どんなに思いを込めた大事なボールであっても、それに対するサインが返ってこない。

 

これだと私は会話のキャッチボールができていないと感じて、悲しくなってしまう。パートナーは言いたいことだけを言って、私の言いたいことは受け止めてもらえなくて、悲しいと感じる。

 

パートナーから「受け取りましたよ」のサインがないから、パートナーは鈍い人なんだな、他人の言葉を受け取らない人なんだなと最初は思っていた。相手の言葉は受け取らず、ただただ言いたいことだけを言ってくる。なんて嫌なコミュニケーションなんだと最初は思っていた。

 

でも、パートナーはコミュニケーションのプロトコルが違うだけなのだろうと思う。「受け取りましたよ」のサインを必要とする人と必要としない人という違い。

サインが返ってこないことが悲しいのだとパートナーに言うと「自分の求めている反応をもらえなくて、思い通りにならなくて、不機嫌になるんだね」と言われたこともあるが、パートナーからしてみれば、サインを必要とする人の気持ちなんて分からないわけで、押しつけに感じた結果、このような反応になるのだと思う。

 

パートナーは「受け取りましたよ」のサインを送らないだけで、パートナーにはちゃんと私の言葉は届いているのだ。サインがないから伝わってないような感じがするけれど、ちゃんと届いてはいる。そのことを、これまでの経験から私は知っている。

 

私はパートナーのことを鈍い人だと思っていたけれど、先に書いた通りネガティブな態度を出されることを極端に嫌がるので、別に鈍い人ではないらしい(ネガティブな態度をキャッチするアンテナがある)。この、鈍いように見えて実は繊細で鋭い人だった、というギャップが、私の中でなかなか腑に落ちない時期が長く、そのことで喧嘩をしてきたように思う。

 

パートナーが持つ高感度のアンテナと私の困りごと

なんだかもう限界だな~と思いながらインターネットを探していたら、まめさんのブログの以下の文章にピンと来るものがあった。

 

実際、私が表面をいくら取り繕って、言葉だけ良い事を言ったとしても、夫には誤魔化しは効かない。鈍感どころか非常に鋭く、こちらが否定的な気持ちや馬鹿にする態度があるうちは、取り合ってくれないか、聞き入れてくれず、まずマトモな話し合いはできていなかった。

 

note.com

 

私のパートナーもまるっきり同じで、私のスンッやズーンというネガティブな態度を出した瞬間に、パートナーはそれを鋭く察知して怒ったり怒鳴ったりしてくる。

 

「私の言葉」と、「私の(気持ちが滲む)態度」、というふたつの要素があるとき、パートナーは、「私の(気持ちが滲む)態度」のほうを正として見ている気がする。

 

「私の言葉」=「私の(気持ちが滲む)態度」のとき、パートナーのアンテナはOKを出してくれる。

 

しかし、私がイライラした態度を出しながら「ごめんね」と言ったとすると、パートナーは「ごめんね」という私の言葉を受け取らず、「イライラした態度を出している」という態度をアンテナで察知して、怒る。「それが謝るときの態度なの?」と言ってくる。

 

ほかには、私が何か納得していないとき、悲しみが癒えてないときに「もう大丈夫だよ」と言葉で伝えたとする。パートナーは「納得してないじゃん。全然大丈夫じゃないじゃん」と言ってくる。

 

私がどんなに言葉で伝えようとも、パートナーは私の態度を先にキャッチしているので、私の言葉は届かない。聞き入れてもらえない。

 

私は感情が遅延してくるタイプだと先に書いたけれど、パートナーは"私より先に"私の感情を私の態度から察知している。私が私自身の感情を遅延なく瞬時に察知できれば、もしかしたら態度に出すことを止められるかもしれないし、態度に出す前に言語化できるかもしれない。でも現状私はそれができない。パートナーの速度に追いつけない。感情の遅延という私の特性と、感情を鋭く察知するというパートナーの特性、あまりに食い合わせが悪い気がする。

 

パートナーのアンテナは速くて鋭すぎる。

 

人には内心の自由があり、パートナーはそれには同意をしている。しかし、感情を外に出してぶつけられるのが嫌だと言っている。

 

そこで、頭の中で検証をしてみる。

 

もし仮に、感情を感じたとしても、態度に出さなければいいのではないか。

それができるときもあるだろう。パートナーのアンテナに見つからないように、感情をうまく隠せるときもあるかもしれない。でも、パートナーのアンテナはとても感度が高いので、そのアンテナに見つからないのは至難の業で、私にとってはすごく難しいことだと思う。

 

パートナーは私のことを「顔に出るからすぐ(気持ちが)分かるよ」と言う。

しかし、私はこれまでどちらかというと「顔に出ないから分かりづらい」と言われてきたタイプだった。

パートナーの前では感情豊かに表現できている部分は大いにあると思う。しかし、それに加えてパートナーのアンテナが非常に鋭いということもあるのだと思う。

 

パートナー以外の人だったら、うまく騙されてくれるのにな、と思う。心にもないことを言って人を喜ばせたり気持ちよくさせることを、これまでに何度もしてきた。私がその人のことを内心どんなに見下そうとも、私の言葉に簡単に騙される人ばかりの人生だった。クソだと思った。しかしそれはイージーなゲームの話だった。

 

きっと、パートナーのアンテナは、パートナー自身でアンテナの感度を下げるといった、コントロールはできないんじゃないかと予想している。

 

非常に感度の良いアンテナで、いつも私は測られている。それが私にとってはとてもつらい。

 

感情を感じ、態度に出すこと

どうしたら心で感情を感じながら、態度は隠せるようになるんだろう。私の経験上、感情を感じながら態度に出さないとなると、感情も徐々に死んでいくと思っているんだよね。

 

子どもの頃、親に「泣くな」「笑うな」と言われてきたので、首を絞めることで"死"を眼前に持ち出し、感情を態度に出すことを殺すといった対処してきたことがあるんだけど、そのときは感情そのものが鈍くなって死んでいく感覚があった。そのせいか今でも自分の感情がリアルタイムでは分からない。自分では自分の感情が分からないくせに、態度に滲み出てしまっている。

 

私はこの対処によって感情を感じなくなった、感じにくくなったと思っていたんだけど、トラウマ治療の先生によると、確かにそのときに感情は存在していて、蓋をしているだけだという。つらいとき、悲しいときに、感情の蓋を開けてしまったら自分が耐えられないから、自分を守るために、蓋をしているのだとおっしゃっていました。

 

それなら私にとっては必要な蓋なのだ、とは思うけれど、どうしてもパートナーと関わる上で、感情の遅延という特性が致命的になっている。

 

また、パートナーはネガティブな感情があまり無いと言っていた。物事を多角的に見てネガティブな思考にならないように生きていて、「せっかくだから、一日一日を穏やかに、たのしく生きていきたいと思っているから、そのような考え方をしていきたい」と言っていた。それが私にネガティブな態度をぶつけられると怒鳴り散らすのであった。ネガティブな思考にならないように生きていける人が、怒りに囚われて身動きできないほどの苦しみを感じている。

 

ネガティブな感情を隠せない私のような人間は、パートナーから離れたほうがいいのだろうか?

 

私はネガティブな感情も私を成長させてくれるひとつだからと、ネガティブな感情もちゃんと噛み締めて味わって生きていきたいタイプで、自分のネガティブな感情が分かれば、他人のネガティブな感情にも共感しやすくなるとも思っている。大切な人が悲しんでいるとき、「ああ、こういう悲しみは自分も経験したことがあるなあ」と思って共感できると思う。
自分のネガティブな感情がわからなかったり、鈍かったり、忘れてしまっている場合、他人に共感するのは難しいと思っている。「なんでこの人はこんなことで悲しむんだろう?なぜこの悲しみにしがみつくんだろう?忘れて気分転換すればいいだけなのに」というふうに私はなりたくない。

誰かが悲しんでいるときにそばにいて、同じ気持ちになること、一人じゃないよ、その気持ちは私も分かるよ、と言ってあげること。それが私が大切な人が悲しんでいるときにやってあげたいこと。

 

 

喧嘩の流れ、感情の動き、お互いにやらなければいけないこと

いつもの喧嘩の流れ

いつもの喧嘩の流れは以下の通りです。

  1. パートナーが、私が嫌だと感じたりつらいと感じる行動を取る
    • 例えば、求めてもないのに説明をし続ける
  2. 私がスンッと黙り込んだりズーンと沈むといったネガティブな態度を出す
  3. パートナーのアンテナが私のネガティブな態度を鋭く察知して、怒ったり怒鳴る
  4. 「私の言葉」と、「私の(気持ちが滲む)態度」が一致していない場合、パートナーは、私の言葉は受け止めず、パートナーは、「私の(気持ちが滲む)態度」を優先して正として判断する
    •  「ごめんね」と謝っても「自分が悪いと思ってる態度?それ。」と言ってくる
    • 「もう大丈夫だよ」と言葉で伝えたとしても、「全然大丈夫じゃないじゃん」と言ってくる
    • 私の態度を正と判断され、私の言葉は信じてもらえない。
    • 特に怒ったり怒鳴ったりしているときは、私の言葉は通常以上に聞き入れてもらえない(アンテナの感度がブーストでもかかっているのか?)

 

私がネガティブな態度を出す前に起きていること

そもそも、私は何の理由もなしにネガティブな態度を出しているわけではなく、パートナーの行動を受けて、私はネガティブな感情を感じ、それが態度に出てしまっている。パートナーの行動をもう少し改善したり、その頻度を下げられたら、私がネガティブな感情を感じる機会そのものが減り、ネガティブな態度を出すのも自ずと減ると思う。

 

しかし、パートナーには常に「おれは何もしていないのに、妻がいきなり不機嫌になった」「不機嫌をぶつけて他人をコントロールしようとしてきている」というように見えている。パートナー自身がどのような行動を取ったか、傷つけている自覚というのが全くない。

 

だから、スンッとかズーンというネガティブな態度にさせたきっかけはパートナーにもあったはずなのに、そのことは差し置いて、私がネガティブな態度を出したことだけを追及してくる。私にとってはそれがとてもつらい。

 

パートナーにどんなに嫌なことをされ続けても、それに対して私がつらい思いを感じたとしても、態度に出してはいけない、態度に出さずにパートナーに分かってもらえるよう言葉で説明しなくてはならない。そしてパートナー自身は相手に対して何をやらかしているのか自分で気づけなかったり自分でストップするのは難しいときがあるから、私がストップをかけなければならない。私に求められていることが多過ぎるような気がして、つらい。

 

今回で言えば、「もう言葉の説明はつらいからやめてよ」と私がストップをかけられたらよかったのけど、それができなかった。でも、「私だけ"シャバい"の意味がわからなくて悲しいなあ」と私が言ったその言葉はヒントだったと思う。お互いにもう少し早めに立ち止まっていられたら、こんなことにはならなかったのに、と喧嘩の度に思う。

 

「私の言葉」≠「私の(気持ちが滲む)態度」のときは後者を正と判断される

『4.「私の言葉」と、「私の(気持ちが滲む)態度」が一致していない場合、パートナーは、私の言葉は受け止めず、パートナーは、「私の(気持ちが滲む)態度」を優先して正として判断する』というのは、簡潔に言うと、本心から出た言葉じゃないとパートナーはその言葉を受け取ってくれない、ということです。

 

私の経験上、私がこれまで出会ってきた人は、別に相手が内心でどう思おうとも、その言葉を正として受け取る人が多かった気がする。「ごめんね」と不服そうに謝られたとき、「ああ、この人は謝ってくれているけど多分納得してないんだな」と相手の視点に立って想像することができるし、「納得してないけど謝ってくれているんだな、それならこちらもあまり納得はできないけど許そう」ってなる人が多いような気がする。内心ではお互い納得してないし申し訳ないともなんとも思ってないけど、それでは関係性がうまくいかないからとりあえず言葉では謝っておく。そういう本音と建前をうまく使って、コミュニケーションを行っている。

 

パートナーが申し訳ないと思ってないのに「ごめんなさい」と謝罪をする私に対して、「それが謝る人の態度なのか?」と言ってくるのは、きっと、パートナー自身が本心から出た言葉じゃないと意味がない、と思っているからなのだと思う。本心では申し訳ないと思ってないのに謝罪をすることに抵抗感を感じるタイプ。

 

でも、正直なところ、すぐに申し訳ないと思えたり納得して本心から謝ることができる人のほうが少ないと私は思っていて。納得はしてないけど相手は傷ついたんだな、それなら謝ろう、って謝って、泣いている人がぽつりぽつりと話してくれる内容から「ああ、そういうことが悲しかったんだね」と徐々にわかってきて、言葉と感情がそこで初めて一致する。そういうものだと思っている。

それなのに、パートナーは最初から言葉と感情が一致していることを強く要求してくる。

 

なんかその本音はさておき言葉で取り急ぎ伝えた「ごめんね」とか「もう大丈夫だよ」という言葉を受け取ってもらえないということは結構悲しいんだよね。絶対に、私の言葉よりも私の態度のほうを信頼していて、私の言葉は信じてもらえない。

納得できないながらも相手は傷ついたんだなと思って「ごめんね」と謝っても、「それが謝る人の態度か?」と私の言葉を信じてもらえない。そのことがつらい。言葉ならいくらでもコントロールできる。どんな嘘でもつける。そのことが時には関係性を良い方向へ導くこともあると思ってる。でも、パートナーは、本当の言葉じゃないと、感情と言葉が一致していないと、許してくれない。それがとてつもなくつらい。

 

パートナーに求めていることと・難しいこと、私が対応しなければならないこと

パートナーに求めていることと、パートナーにとっては難しいこと、そして私が対応しなければならないことをまとめると以下になります。

 

  • 私が悲しんでいたり泣いていたりしたら、パートナーの理解や納得よりも前に、寄り添ってほしい
    • 多分ムリ。パートナーは理解してからでないと寄り添えない
      • パートナーは感情と言葉の一致を求め、パートナー自身が私に対して本心からの寄り添いをしてあげたい、と考えているので、そのためにまず私の状況を理解したいのだと思っている。良くも悪くも不器用で、うわべだけの寄り添いができない
      • 「納得していなくてもいいし理解していなくてもいいから、言葉だけで構わないから寄り添ってよ」と言ったことがあるけど多分パートナーは違うタイプ。内心はどうでもいい、言葉と態度が一致しなくても構わない、とにかく言葉で伝えなくては意味がなく、言葉と態度が一致しないときは言葉を正として判断する。それが私にとって「普通」だと思ってきた。でもパートナーは違う
    • いつも、私に対する寄り添いよりもパートナーの理解や納得が優先される
    • そのため私が悲しい気持ちを抱え、時に泣きながら、パートナーに状況と感情を事細かく説明しなければならない
  •  パートナー自身で、私が嫌だと感じたりつらいと感じる行動を取っていたことに自ら気づき、自らその行動をやめてほしい
    • 多分ムリ。パートナーは、自ら気づくことが難しい。
    • よって、自ら行動を止めることも当然難しい
    • そのため「その行動やめて」とストップを私がかける必要がある
    • その際にも、パートナーの理解や納得が必要なため、事細かく説明する必要がある
  • パートナー側でアンテナを感度を下げてほしい
    • 多分アンテナの感度を下げることはできない気がする
    • そのため、私は、悲しい気持ちやつらさを感じたとしても、いついかなるときも、ネガティブな態度を出してはいけない
      • しかしこれからずっと態度に出さないというのはなかなか難しいと思う。なんというか紙にインクが滲むように、感情は態度に滲み出てしまうものだと思う
    • パートナー側でアンテナの感度を下げることはできないのか?アンテナの感度をパートナーがコントロールできない場合、私は常に感度の高いアンテナに晒され続けるしかないのか?という思いが私にはある
      • しかしおそらくこのアンテナはパートナーの特性で、生きる上で必要だから発達した機能なんだと思う。このあたりの背景をもうすこし知りたい(今はアンテナの取扱説明書を読まないまま、仕様がわからないアンテナに四六時中晒されている感じがしてつらい)
  •  「私の言葉」と「私の(気持ちが滲む)態度」が一致していない場合、「私の言葉」を正として一旦受け取ってほしい 

 

 

なぜ私がこんなにも全部やらなければいけないのだろう?という思いになってしまう。

 

失敗は許されない。どんな体調のときも、どんな気分のときも、二人の関係性が私の機嫌にかかっている。私の機嫌さえよければいい、私の機嫌が悪くなった瞬間にダメになる。そういう関係性がとてもつらい。

パートナーの機嫌が悪くても、私はそれなりに気分を切り替えて楽しく生きていけるけど、パートナーは私の機嫌に連動しているので、私がネガティブな感情を感じるとパートナーの気分もものすごく落ち込んでしまう。正直なところ、ただの他人なのに、私の機嫌に依存されている状況が、何よりつらい。

 

私は私でネガティブな態度を出さないようにし、パートナーはアンテナの感度を下げたり、パートナー自身の行動を顧みて自分でストップをかけるなどしてお互いに歩み寄ることができたらいいのになあ、と思う。

 

言われないと気づけない、説明されないと気づけない、でもネガティブな態度は一切NGだから、ネガティブな態度を出さないまま説明しなければならない。高感度のアンテナに私が適応せねばならず、アンテナに引っかかるとパートナーから怒られ、怒鳴られる。

 

パートナーは怒ったり怒鳴ったり、ネガティブな感情をまるだしにぶつけてこられるのに、私はパートナーにネガティブな感情をまるだしにぶつけることは許されない。それが、どうしても不公平だと思ってしまう。

 

パートナーとの関係性について

安全基地をつくる

パートナーには以下のメッセージを送った。

 

どんなに些細なことでも嫌なことがあったとき、傷つくようなことがあったとき、あなたが話せるタイミングで話してください。私にも余裕があるときと無いときがあるので「話していい?」と確認してくれると助かります。話を聞くだけでも楽になる部分があるかもしれません。事が起きた「そのとき」じゃなくても、後になってからでも、言語化できるようになったタイミングで、あなたの心が準備できたタイミングで、言いたいと思ったタイミングでよかったら私に話してください。

 

今はとにかくお互いにとっての安全基地をつくることが最優先だと思っている。

 

パートナーも落ち着けば、「つらかったよね、ごめんね」「味方になれず、そばにいてあげられなくてごめんね」と言えるので、性格が終わってるとか、そういうことじゃないんだと思う。とても優しい人であると言うのを私は知っているし、ただコミュニケーションの取り方、プロトコルが違うから喧嘩が起きる。これからも根気強くやりとりしていくしかない。

 

パートナーだって共感や寄り添いを求めている

結婚した当初、パートナーは共感を同感と勘違いしていた。

 

aknynk.hatenablog.com

 

最近はパートナーも共感や寄り添いを求めるようになってきた気がする。

今回の喧嘩のあと、パートナーから「優しく寄り添ってもらいたかった」と言われた。正直、怒ったり怒鳴ったりしている人に対する寄り添いって何?なぜ、怒ったり怒鳴った側なのに、寄り添いを求められるんだろう?ってと思った。

でも、私がネガティブな態度を出してパートナーを傷つけている際にこれまで「寄り添ってほしい」と言っていたのは、同じことだったのだろうとそのときに気づいた。

 

私がネガティブな態度を出すことでパートナーは傷ついた。パートナーにとっては、パートナーは被害者で私は加害者と見えている。そんな状況において加害者である私から「寄り添ってほしい」と言われたら、なぜ、加害者が、寄り添いを求められるんだろう?と思うだろうなと。

自分は嫌なことをされた。攻撃をされたのだから、そんな加害者に寄り添うことは難しい。そういうことなのだろう。

 

ここで、パートナーの視点から抜け落ちているのは、パートナー自身が、私に対して何かをやらかしている、ということ。無視したり、嫌だと言っていることをやり続けたり、私を傷つけるようなことをパートナーが先にやってきている。

そのあと私がネガティブな態度を出してパートナーを傷つけている。

そのような状況において、「先にやってきたのはそっちなんだから先に謝ってほしい」と私は思ってしまう。どっちが先とかどうでもいいのにね。パートナーからの謝罪のあとであれば、私はネガティブな態度を出したことを素直に謝れると思う。何がつらいかって、パートナーの視点としては「何もしてないのにいきなりネガティブな態度をぶつけられた」ということしか見えていないことで、私が先に謝らないといけないのがどうしても抵抗感がある。

 

レールから外れても構わない、と知ってほしい

いつも私が求めているコミュニケーションを取るために、おれは気を付けすぎている、とパートナーが言っていた。私が幸せでいられるように、私が悲しみを感じないように、優しい気持ちでいつも行動してくれていると思う。

 

でも、その思いが私にとっては少し負担なんだよね、という話は伝えた。

「こういう行動をしたらこういう反応をするだろう」とレールを敷かれて、そのレールに沿って行動してほしいと求められているみたいでつらいのだと。そして私がレールから逸れた反応をした途端に、パートナーとしては予想外のことが起きたと判断し、パニックになり、怒ったり怒鳴ったりする。

 

最初からレールを敷かなければ、レールから逸れる心配をする必要もないのに。他人同士なのだから、予想外が当たり前なのに、レールを勝手に敷いて、そこから逸れたらパニックになるのってなんなんだろうって思う。パートナーはいつも私がレールから逸れないか見張り続けていて、きっとそれってものすごく疲れることなのだと思う。

 

パートナーはなぜレールを敷くのだろう?きっと、そうしないと生きてこれなかった何かがあるんだと思う。生きていくために必要だからレールを敷いているんだろう。その背景をもっと知りたい。そしてレールから外れても、大丈夫だよ、見張り続けなくても大丈夫だよ、ということを知っておいてほしい。いまはきっとレールがあると安心するからレールがあるんだと思うけど、それ以外の道もあるんだよ、ということを知っておいてくれるだけで構わない。

 

パートナーに抱きつくことで態度を"見えないように"する

そしてパートナーから言われて驚いたこと、そしてまだよく理解できていないこと。

先日パートナーに「常にネガティブな態度を出すことを隠すのが難しい、どうしたらいいのか?」と聞いたとき、「ネガティブを隠すのが難しいならバレないように思い切って抱きついたり腕に絡まったりして態度が見えないようにするのは難しいかな?聞いてもらいたい、わかってもらいたい、甘えたい気持ちをストレートに行動にするのはどうだろうと思って」と言われてびっくりした。

 

おそらく「私だけ"シャバい"という言葉の意味がわからなくて悲しいなあ」という私の言葉は、パートナーにとってはストレートな行動ではないのだろう。だからパートナーはその言葉から察知することができず喧嘩になった。これまで「悲しい」「つらい」と言葉で言っても、そのままパートナーは行動をやめずに最終的に喧嘩になったのはこういうことが理由だったのかなあ、と今なら思う。私としては「そのとき言ってくれれば」「そのときもっとちゃんと言ってくれれば」「そんなの言ってくれないとわかんないよ」とパートナーから散々言われてきて、少しずつその都度言語化するようにしてきたけど、それじゃダメだったのだと。

 

そして、「バレないように抱きつくなどして態度が見えないようにする」という対策をパートナーが言ってきたのが未だに本当に理解できない。私がパートナーに抱きつけば、パートナーにとっては私の態度が見えなくなる、ということなのだろうか?例え抱きついたとしても、パートナーの視界には私の姿は目に入っていて、物理的に"見えている"状態だと思うのだが、"見えなくなる"状態になる、というようなことをパートナーは言っている。もしかして、パートナーは私の瞳や顔の動きなどから、私の感情・態度をアンテナで察知していて、パートナーの胸に顔を埋めて見えない状態にすれば、パートナーのアンテナに引っかからないようにできるという理論なのか……?顔を隠せばよかった……?

私にとっては意味不明だけど、パートナーが言うのなら試してみたいと思った。

 

コミュニケーションにかかるコストについて

パートナーは、きっと他人と関わるとき、膨大なコストがかかっているんだろうなと思う。パートナーと私とでは随分コミュニケーションの取り方が違って、合わせられるところと合わせられないところがあって、合わせることにコストが人一倍コストがかかる関係性なのだと思っている。

 

私は、パートナーのことをちゃんと理解したいと思っている。パートナーにコストをかけたいと思っている。まだまだパートナーに対する理解が足りなくて喧嘩することもあるし、パートナーが嫌がることをどうしても私がやめられなくてつらい思いをさせてしまうことがあること、申し訳ないと思っている。


一方で、私だって、パートナーに理解してもらいたいという思いがある。コストをかけてもらいたい。でも、パートナーは自分自身のことで精一杯だから、私にかけるコストがどうしても少ない。そのことを頭で分かっていても、不公平だとか、寂しいと思ってしまう。そのことは知っておいてほしい。

 

先日、この喧嘩のやりとりの中で「いつも、たくさんお世話してくれてありがとう」と言われ、なんだかそのコミュニケーションにかかるコストについて分かってもらえた気がして、とても幸せな気持ちになった。

 

 

島根旅行記:サンライズ出雲に乗って島根に行き、やくもに乗って荷物を忘れて帰ってきた話

 

 

「靴紐がほどけてるの教えてあげたい」

 

というパートナーの言葉を聞いて初めて、駅のホームに並んでいる女性の靴紐がほどけていることに私は気がついた。

 

その女性は友人と一緒にいて、「二人で話しているから靴紐がほどけていることには本人も気づいていながらも靴紐を結ぶタイミングを切り出せないんじゃない?」と適当なことを返しながら、「靴紐がほどけてるの教えてあげたい」というパートナーの言葉を反芻した。

 

人生において、「あ、あの人靴紐ほどけてるな」と気づくことはあれど「教えてあげたい」なんてことを思ったことはなかった。

実際に声をかけて教えてあげるかどうかはともかくとして、ただの他人にそういった眼差しを向けられるパートナーは心底優しい人なのだなと思った。

 

幸先の良いはじまりだなと思った。

 

これから島根旅行に行く。サンライズ出雲に乗って。

 

崎陽軒と東海道線

 

サンライズ出雲の発車時間の一時間前に駅に着いた。パートナーとは駅弁を買おうと前もって話をしていたのだ。

 

横浜駅。

 

いつもは東京駅から新幹線に乗るけれど、今回は横浜駅からサンライズ出雲に乗ってみようということで、横浜の駅弁を調べてみたら、崎陽軒しかなかった。崎陽軒、しか、ない……。

 

神奈川生まれの私にとっての崎陽軒とは、どこの駅にもあるお弁当屋さんというイメージで、わざわざありがたがって食べるようなものではなかった。しかし、食べ飽きるほど崎陽軒を食べたことがあるのか?と聞かれると、片手で数えるくらいしかおそらく食べたことがない。(崎陽軒本店でアフタヌーンティーを経験したことはある。あれはよかった)

 

高校生・大学生のとき通学時に当たり前に視界に入っていた崎陽軒の店構え。なんだか気乗りはしなかった。シュウマイより餃子の方が好きだから、シュウマイってもう2個くらいで満足する気がする、久しく食べてないけれど。

 

「シュウマイって、たまに食べるから美味しいんだよ」

 

これまで旅行に行くときに崎陽軒のチャーハン弁当を自ら選んで食べてきたパートナーはそう言った。まあそういうものなのかな、ものは試しで食べてみよう!と思った。グリーンピースがいやだけど炒飯弁当の小さい方(『横濱チャーハン』というものでシュウマイが2つのお弁当。※『炒飯弁当』はシュウマイが3つ入っている)を買おうと前日の夜に決めた。
また、崎陽軒のサイトを見ながら、シュウマイを買うとついてくるシュウちゃんがかわいいからいつか欲しいね、とパートナーと話した。


ちょっと前にイナダシュンスケさんがシュウマイ弁当の食べ方について哲学のように話していた気がするし、あれだけ店舗展開をしているということはきっとおいしいに違いない。いつも変わらずにそこにある、スタンダードな食べ物のありがたさ。

 

意気揚々と横浜駅に着いて、崎陽軒の中央店に行ったところいくつかあるお弁当のサンプルの前に全部「完売御礼」と札が貼られていて膝から崩れ落ちる思いだった。

 

そうだった。駅弁というのは旅が始まる朝に買うもので、寝台列車のサンライズ出雲に乗る人は限られていて、しかも横浜駅から乗る人というのはさらに限られていて、この時間に駅弁が無いのも当然だった。「中央店がダメなら他の店舗は!?」と思って調べたけれど、中央店を除き他の店舗は20時~21時閉店で、中央店が唯一22時閉店の、最後の灯、崎陽軒 横浜駅中央店なのであった……。

 

とにかく今は食糧は確保せねばならない。事前に飲み物やお菓子は確保していたし、夜ご飯も家で済ませてきた。しかし、崎陽軒をアテにしていたので翌朝の朝ご飯が無い。旅の楽しみの一つでもあるお夜食用のご飯も無い。仕方なくNewDaysでおにぎりやパンを買った。NewDaysは異様に混んでいたし、みんな高揚している雰囲気があった。週末だからだろうか、横浜に観光に来た人たちだからだろうか。

 

そして買い物を済ませてホームを通り、「靴紐がほどけてるの教えてあげたい」という先のパートナーの発言に戻るのである。

 

改札を通るとき、乗車券と特急券・寝台券を2枚重ねて改札機に入れたら通れなかった。駅の係員に聞くと、乗車券だけ改札機に入れればいいらしい。新幹線だと切符を2枚重ねて入れるのが当たり前だが、サンライズ出雲は新幹線ではないし、東海道線のホームから出発する。東海道線のホームでサンライズ出雲を待っているとき、なんだか不思議な気持ちだった。

 

私は生まれてから一人暮らしをするまでずっと東海道線に乗り続けてきた。朝のラッシュで本も読めない日はざらにあったし、誇張ではなく本当に骨が折れちゃうんじゃないかというくらいの混雑の中、社会人一年目のときは実家から会社に通勤していた。半年も経たずにこの状況で通勤は無理だと思い、東海道線は使わない別の沿線で一人暮らしを始めた。

 

大船駅から戸塚駅までが長いこと。大船駅のあたりで観音様が見えるから「今日一日いい日になりますように」とお祈りするのが母からの教えであったこと。戸塚駅から横浜駅に行くにはもっと時間がかかるし、品川駅なんて本当にありえないくらい遠くて、具合が悪い中電車に乗って、車内で脂汗が止まらなくて品川駅に転がるようになんとか降りてぶっ倒れたこともあった。決していい思い出だけではない、東海道線。

 

今日はここからサンライズ出雲に乗るんだ。

 

駅のホームのベンチに座りながら下りの東海道線に乗り込む人々を見ていた。

「東京の感じと全然違うね」とパートナーが言う。「スタイリッシュじゃないよね、でもそれが私としてはすごく馴染みがある感じなんだよね」と私は言う。おしゃれすぎない人々の様子がとても落ち着く。

 

サンライズ出雲

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サンライズ出雲が来た。乗った。

東京駅から乗った人たちがすでに酒盛りを始めていた。しかも部屋のドアを開けているから、廊下を通るときに彼らの様子が若干視界に入った。一人部屋にもう一人が押しかけて、酒を飲んでいる形だった。

 

部屋に入り、鍵を閉め、なんだか嬉しくてたくさん写真を撮った。

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すぐに備え付けの寝巻きに着替えた。寝巻きのサイズがフリーサイズと大きいからか萌え袖になる。ひとりでに自撮り。寝巻きの帯が短い。太ってる人とかどうするんだろう、結べるのかな……?とちょっと思った。

 

しばらくすると女性の車掌さんが切符の確認に来て「入鋏(にゅうきょう)済」のスタンプを押してくれた。

 

その後、トイレに行ってみた。電車のトイレってなんだか変な感じがする。電車はものすごく早く動いているのに、人は個室で排泄をする。出るものも出ない気がした。

 

サンライズ出雲に乗って気が付いたこと

まず、ティッシュがない。なので持参したほうがよかった。

次に、部屋に入ったらすぐ手を洗いたいなと思ったが、当然部屋の中に洗面所はないのでトイレ近くの洗面所を使う必要があった。いつでも手をきれいにできるよう、ウエットティッシュを持ってきていてよかった。

あと結構音がするので、先日買ったLoop Switchという耳栓が寝るときなどに役に立った。

 

「電気を消すときれいだよ」

 

パートナーが私の部屋に来て一番にそう言った。こういうささやかな楽しみ方を見つけるのがパートナーはすごく上手だなと思う。こんな夜に電車に乗ることなんて今までなくて、電気を消し、車窓から眺める夜の町がとても美しかった。私たちは何もしゃべらずにただただ景色を眺めていた。


熱海あたりを通るとき、線路のすぐそばに海があった。『千と千尋の神隠し』みたいだと思った。夜の海が月に照らされて波が光っている。海の上を走っているような感覚になる。そしてすぐにその光景が遠くなる。

 

子どもの頃、旅行に行くときに車の後部座席で寝ているときの感覚を思い出した。運ばれている感じ。

 

今回私たちはそれぞれシングルの部屋に泊まった。私は禁煙の部屋、パートナーは喫煙の部屋。電車の中で煙草が吸えるってすごい。

車内を見て回ることにした。ノビノビ座席やシングルデラックス、サンライズツインを通ってラウンジに行った。照明が明るいからか、ラウンジからはあまり外の景色は見えなかった。そして、ラウンジ3席分を使って寝ている人がいて本当にびっくりした。「自分の部屋で寝ればいいのに、なんでラウンジで寝ているんだろう?」とヤバい人を見る目で最初は見ていたけれど、もしかしたらノビノビ座席で隣の人がうるさいとか臭いとか、そういう何らかの理由があって、こんな寝にくいラウンジの椅子で寝ているんだろうなと思って怒りがおさまった。人には人の事情がある。

自販機には250ml缶のコーラが売っていた。なんだか懐かしい。パートナーが「記念に」と1本買っていた。

 

朝、気づいたら6時半だった。朝の陽ざしの眩しさで目が覚める。やはり眠りは浅かった気がするが、こんな目覚めも悪くない。その後、サンライズ瀬戸とサンライズ出雲の切り離し作業のときも目は覚めていたけれど特にホームには降りなかった。たくさんの人が写真を撮りにホームに降りていた。みんなたのしそう。

 

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松江フォーゲルパーク

出雲市駅に着いた。ホテルに荷物を預け、一畑電車で松江フォーゲルパークへ向かった。

 

切符を駅員さんに渡してパチンと鋏を入れてもらう。出雲大社前行の北松江線に乗り込むと、爪も髪も化粧も持ち物もすべてが派手なギャルが目の前に座ってきた。その隣にはヘルプマークをつけた女性が座っていた。特に気にしていなかったのだが、私たちが川跡駅で乗り換えるとき、ギャルがヘルプマークをつけた女性に「何かお手伝いしましょうか」と声をかけていた。私たちが乗り換えた松江しんじ湖温泉行の北松江線に、ギャルとヘルプマークをつけた女性も乗ってきた。それから松江フォーゲルパーク駅で私たちが下りるまで、ギャルとヘルプマークをつけた女性はずっと喋っていて、明るい笑い声が響いていた。すごく仲良くなっているのが声音から分かった。島根、いいところだな、と思った。

 

車窓からは畑に白鳥が訪れているのを何度も目にした。黄色や緑など色とりどりの田畑に、まっしろの白鳥が飛んでいる違和感。しかしとても美しかった。

 

さて、フォーゲルパークに到着。

 

パートナーは鳥が好きである。

「お昼に河原を散歩していたらホンセイインコがいた」とか「煙草を吸っていたらアオサギの鳴き声が聞こえた」とか「セキレイやオナガを見かけた」としょっちゅう言っている。

 

白鳥と波紋、きれい

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パートナーは動物と関わる仕事をしていたからか、動物と仲良くなるのが上手い。手を差し出して、警戒する鳥に手を甘噛みさせてから、自ら鳥が近寄ってくるのを待っている。私はビビってしまってできなかった。

 

甘噛み

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一旦距離を取る
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再度甘噛みして確認
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パートナーの顔を確認
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大丈夫だと判断して、乗る

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あと私の好きなオオハシ

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バードショーがすごくよかった。「猛禽類の狩りの様子を見せます」というショーの中で、失敗しても鳥のせいにしないで、あくまで人間側の対応が悪かったんだというふうな声かけをしていた。「(鳥に対して)トンボが気になるんだよね。(観客に対して)今日はトンボがたくさんいて鳥たちの注意はそちらに向いているみたいです(だからうまくいかなかった)」とか、「羽を広げているのは、暑いからなんです」と失敗してもその原因を話してくれるのがとてもよかった。うまく成功することは確かに素晴らしいけれど、人間を楽しませるショーというビジネスのために調教された姿にはグロテスクさを感じてしまうし、あくまで鳥ファーストでショーが行われている感じがとてもよかった。

また、「鳥たちが後ろからやってきますよ」と言われ観客が後ろを振り向いていたら一向に鳥はやってこず、「どういうこと?」と思って前を向いたらヨチヨチトコトコと鳥が前からやってきていて、あまりのかわいさと驚きに叫んだ。ただ鳥が歩いてくるというそれだけなのに、見せ方がすごく上手い。

そのあと、「猛禽類の狩りの様子をもっと見たいですか?」「見たーい」「見たいって言ったのはあなたたちですからね(どんなことになっても知らないですからね)」というようなやりとりがスタッフと観客の間で発生し、一瞬ピリっとした雰囲気が流れたあとにほっと笑いが生まれる、という緩急をつけた観客を巻き込む形でショーをしているのがとてもよかった。

 

手乗り体験もした。以前、掛川花鳥園でフクロウの手乗り体験をしたことがあった。今回はワシノスリの手乗り体験をさせてもらった。しかも、ただ腕に乗せてくれるだけじゃなくて、ちょっと離れたところからワシノスリがビューン!と飛んできてズシン!と乗っかってくれる。すごく重くて腕がぷるぷる震える。普通に危険なので、スタッフの方がワシの視界の入らないところにお客さんが入り込んだり走り回ったりしないように周囲を見渡しながら対応してくれる。また、写真のうつりも気にしてくれていて、腕の角度をこうするとかっこよくなりますよ、とか、色々教えてくれた。スタッフは一人しかいなくて、集金、ワシノスリのコントロール、体験する人への指示、周囲の状況確認、必要に応じて写真撮影など全部一人で対応していてヤバかった。

 

↓テンションあがりすぎてインスタのストーリーに投稿した

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出雲大社周辺の散策

おふく焼きを買った。

そして16時にようやく昼ご飯として出雲そばを食べた。荒木屋に行きたかったけれど店先まで行ったら臨時休業の張り紙が。第二候補だった田中屋にて三食割子そばを食べる。暑くて足の疲れも出てきたところだったのでそばの美味しさが染みた。

 

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出雲大社

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出雲大社に来るのは2回目。パートナーは初めて。私は子どもの頃、神奈川から島根まで父が車を運転して連れてきてもらったことがある。しかし全く記憶にはない。

 

拝殿

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これがガイドブックで見たしめ縄かー!と思って写真を撮る。御朱印をもらう。初穂料がお気持ちとのことで、なんだか試されているような感じがして緊張感が走る。そのへんをウロウロして帰る。

 

実は出雲大社そのものより、その手前にある森で、鳥の鳴き声を収集するのに私たちは熱中していた。ほんとに、30分くらいはずっと森でワチャワチャと鳥の鳴き声収集をしていた。ヤマガラ、エナガ、ヒヨドリなどがいた。さっきまでフォーゲルパークで散々鳥を見たのに、出雲大社に来ても森の中で鳥鳥鳥……。

 

↓私たちはずっとここで鳥を探していました

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私たちはここで重要なことを見落としており、そのことは数時間後、ホテルでようやく気づくのでした……。

 

PLANT

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私は旅行先の地元スーパーに行くのが大好き。PLANTは「生活のよりどころ PLANT」と看板があり、本当に超巨大なスーパーだった。同じ種類の梨を横幅広く陳列している様子にテンションがあがる。葡萄はサマーブラック、藤稔、巨峰、ニューピオーネ、ピオーネが並んでいる。牛乳も見たことがない商品が売っている。

 

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私の目当てはなんぽうぱん!コーヒーバラパンと塩パンとネオトーストを買った。

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のどぐろ日本海

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21時、遅めの夜ご飯。のどぐろをたくさん食べた。のどぐろ丼、のどぐろの焼き物と煮物などをいただく。のどぐろって見た目が淡白だからつい味も淡白だと勘違いしてしまうのだが、結構味が濃くてパンチのある味をしている。金沢でも同じことを思った気がする。

 

ホテルにて ようやく気がついたこと

くたくたでホテルに帰ってきて湯舟を張る。パートナーがお風呂に入っている間に、持ってきていたガイドブックを改めて開いてみる。出雲大社のところでページをめくる手が止まった。今日見たしめ縄と、ガイドブックに載っているしめ縄が、なんか、違う……?

今日私たちが見たのは拝殿のしめ縄で、左手奥には神楽殿があり、今日見たものよりもっと大きなしめ縄があるのだと、このとき初めて気がついた。ガイドブックは事前に読んでいたはずなのに、あまりの疲れからか一番目玉の神楽殿を見落ないで帰ってきたのであった。

 

「衝撃の事実なんだけど」とパートナーにも神楽殿のことを伝える。二人で大笑いした。

 

私たちは今日出雲大社に行って拝殿のしめ縄を見て「やっぱりガイドブックで見るのと実際に生で見るのは違うね」という会話をしていたが、ガイドブックにでかでかと掲載されているのは神楽殿のしめ縄であって拝殿のしめ縄ではないので、違って当然なのである。そんなことも知らずに鳥の鳴き声収集に熱中して、浅瀬でバチャバチャしていた私たちは一体なんだったのか。

 

「でもまあこれも旅の思い出だよね」と笑いながら、スマホでは「出雲大社 神楽殿 行くの忘れた」と検索して私たちと同じミスをおかしている人を探して、なんとか自分たちを肯定しようと必死だった。こんなの恥ずかしくて誰にも言えない…!

 

「また次の機会には神楽殿を見にいこうね」と話していたが、「やっぱり明日早起きして行くべきでは……?」という話になった。明日はお土産を買って帰るだけの予定で、早起きすれば行けないわけでもなかった。よし行くかと決めておふく焼きを食べてぐっすり寝た。サンライズ出雲では眠りが浅かったので、ホテルのベッドで静かに眠れるのがなんともありがたかった。

 

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寝る前、ホテルのテレビで見た株式会社MarkenのCMがよかった。鳥取・島根を中心に事業を展開する総合人材サービス企業で、CMはドット絵だった。今日乗った一畑電車も描かれていた。

 

日本海テレビでは中尾真亜理さんの『オンガクお嬢Remix』という謎の番組が放送されていて、スタッフと喋りながらクダを巻く様子が『水曜どうでしょう』みたいでおもしろかった。ローカルテレビ、こういう謎の番組と出会えるから良い……。

 

2回目の出雲大社

一畑電車にも乗り慣れた。日中帯は基本的に1時間に1本くらいしか来ないので、電車の時間に合わせて行動する必要がある。東京だと数分待てば大抵次の電車が来るのでそこまで電車の時間を気にしたことがない。

川跡駅では昨日と今日とで乗り換えのために何度か降りた。北松江線と大社線の電車が集まって皆が各々乗り換える感じがとても良い。

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あと、一畑電車は駅のホームに駐輪場がある。錆びた自転車もいくつかあって、持ち主不在のままそこに放置されているのがわかる。持ち主は鍵をなくしてしまったのかなと思いを馳せる。

 

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出雲大社前駅に着く。ブーランジェリー ミケにてパンを購入。昨日も訪れたけどパンは売り切れだったので、今日購入できてとても嬉しい。

出雲大社に向かう道中でうさちゃんの置物もおみやげとして購入。

 

そして2回目の出雲大社へ。

大鳥居をくぐると下り坂になっている。ディズニーランドと同じ仕組みだ、と思った。行きは下り坂で足取りも軽い。帰りは足も疲れているので上り坂はキツイ。

 

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神楽殿、行った。拝殿のしめ縄とスケールが全然違ってワロタ。来てよかった。

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昨日はまわらなかった素鵞社、文庫、彰古館、西十九社も見て回る。

 

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彰古館、全部木でヤバい(何の知識もない人の感想)。ふすまというか窓のところって開くのだろうか。

 


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西十九社。全国の神様が大集合したときに泊まる宿、横に長くてかっこいい。

 

やくもで帰る

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一畑電車のスイッチバックにも都度テンションがあがりながら、出雲大社から帰ってきた。一畑電車にはしまねっこがいる。切符も鋏を入れてもらった。「昔は駅によって鋏の切り口から違ってそれで駅を判別していたんだよ」とパートナーが教えてくれる。

 

出雲市駅周辺でお土産を購入して、やくもまでしばし待ち時間。

 

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やくもに乗って、駅弁を食べる。

車内は全体的に丸みを帯びていて、木材のあたたかみがあって良い。

 

やくもに乗りながら『夜明けのすべて』を見た。いい映画だった。上白石萌音さん演じる主人公がPMSで豹変してぶちギレている様子が私にそっくりでパートナーが怯えていた。

 

岡山駅に到着して、新幹線のホームに向かった。新幹線の到着まで少し時間があり、パートナーは喫煙所で煙草を吸いたいので荷物を持っておいてほしいと言われた。そのとき差し出されたのが駅弁のゴミ袋で、「あれ?」と気づいた。「ねえ、大きいボストンバッグはどうしたの?」

 

気づいたときには二人して顔面蒼白になってホームの階段を駆け下りていた。どうしたらいいのか分からない。窓口で「やくもの荷台に忘れ物をしました」「でも取りに行ったら新幹線の時間に間に合わないんです」と早口で伝える。ヤバい、ヤバいヤバいヤバい、お土産がパートナーのボストンバッグの中に入っている。今日買ったばかりの可愛いうさちゃんの置物もボストンバッグの中だ。二人で食べようねと買ったおせんべいも、ラーメンも、全部……。「こちらに電話してみてください」と遺失物管理センターみたいな連絡先を渡される。とりあえず心臓ばくばくのまま新幹線のホームに戻る。

 

「気づいてくれてありがとうね」「煙草どころじゃなくなっちゃったね」「やくもは岡山で終点で、この先車庫に入るってアナウンスされていた気がするから、そのときに見つけてもらえるよ、盗まれたりはしないと思う」「でも盗まれて見つからなかったらどうしよう」「長年使ってきたボストンバッグだもんね」などと口が止まらない。

 

新幹線に乗り込み、パートナーは早速遺失物管理センターに電話をしにいった。荷物の特徴や座っていた座席、連絡先などを伝えたそう。電話をしている最中、なんで私はやくもを降りるときに気づけなかったんだろうと思った。「忘れ物無いね」とパートナーはやくもを降りるときに確認していた。でも、荷台のほうは見なかったのだ、普段荷台を使わないから……。

なんだか泣きそうになってきた。このままボストンバッグが見つからなかったらどうしよう。冷静に考えれば別に私のボストンバッグではないのだから、泣きそうになるのは大げさな気もするのだが、やっぱりパートナーが年季の入ったボストンバッグを使っているのをそばで見てきたし、長年愛着を持って大事にしてきたことが分かるからこそ、パートナーの手元に戻ってきてほしいと願って、戻ってこなかったらどうしようと不安で涙ぐむのであった。

 

数十分後、折り返しがあり、ボストンバッグが見つかったとの連絡があった。

よかった。本当によかった。たった数十分だったけれど、生きた心地がしなかった。よかった。今は手元にはないけれど、いずれ着払いで届くそう。可愛いうさちゃんの置物は今どこにいるんだろう。不安かもしれない、などと会話しながら帰路についた。

 

数日して、ボストンバッグが家に届いた。

うさちゃんの置物も無事お家に到着。

おみくじには「大吉」と書かれている。

何もかも、運が良かったとしか言えない旅行だった。

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今回の旅行はドタバタだった。でも結果としてそれはそれで良い思い出になった。

 

私たちがサンライズ出雲に乗ったのは8月下旬だったのだが、その前は南海トラフが来るとか来ないとかで一週間ほどサンライズ出雲が運休になったことがあった。また、私たちが旅行に行ったあとには台風が来て、それもまた運休になる日もあったらしい。サンライズ出雲、ただでさえ切符を購入するのが困難なのにもかかわらず、切符を購入できたとしても何らかの事情で運休になることもあるので、今回乗れて本当によかった。

初めての寝台列車。次乗る機会がいつかまた来てほしい。楽しかった。

 

『ラストマイル』見た(ネタバレあり)

『ラストマイル』を見た。

 

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この映画を映画館で見られる人は Amazonを始めとした便利なサービスを利用し 利益を享受する側の人である一方、映画の中に出てきた宅配のドライバーの人たちは、きっとこの映画は見ないだろうなと思った。見ないというか、見られないんだろうなって思った。1個宅配を届けてやっと150円もらえるような安い賃金で毎日働いて、休み時間も短くて、毎日へとへとで、貧しくて、言葉の通り命を削って生きている人で、きっとそんな人たちは 映画館に行くことさえままならないんだろうと思った。

Amazonを使う側の人たちが見て消費する映画。

この映画を映画館で見られること、それすらも豊かさのひとつなのだと心に刻まなければならない。

 

劇中でエレナが言っていた、「デリファス以外から買うとなるとどこで買うかを探さなければならない、そんなの手間なの、面倒なの」みたいな台詞。だから人々は今日も脳死でデリファスを使う。あなたが享受する便利さは、見知らぬ誰かの苦しみによって成り立っているものかもしれないと想像力を働かせる必要がある。

 

しかし、これを見た私はAmazonを利用することをやめないと思う。あれだけ映画で見せられた貧しさのこと、苦しみのことなんて自分の預かり知らぬところで起きているものなのだから知らないんだと、目を背けてしまうのだろうと思う。

どうしたらいいんだろう

一人の人間が行動を変えたとしても他の大多数は変わらない。変化には、何が必要なのだろう。

 

***

 

オープニングの映像がかっこよかった。

 

物を効率よく運ぶために作られた道路、建物、設備。車で高速道路を走っているとたまに遭遇する物流倉庫が立ち並ぶ街並みがすごく好きなのは、目に映るあらゆる風景がシステマチックに感じるからだと思う。近未来を駆け抜けている実感。

 

映画を見る前に高架下のカレー屋さんに行った。食券形式で、食券を購入した音を察知するとキッチンから店員が食券を取りに出てきて、すぐキッチンに戻る。店員はカレーができると客の前にカレーを置いてまたキッチンに戻っていく。食べ終わったら何も言わずに店を出る。「ありがとうございました」も言われない。

この、人間扱いされていない感じが心地よいのだ。過度な接客はない。ガソリンスタンドでガソリンを入れてまた走り出す車みたいな、エネルギーをチャージするためだけにただそこにある場所。食券を買ったらカレーが出てくる。そういう機械的なところがいい。それがいい。いいときもある。

 

映画の冒頭、満員電車とバスを乗り継ぎ着いた先にある物流倉庫では、そこで働く人間をももはや商品のようにベルトコンベアのように流れていく。

当然生身の人間としての扱いはされない。

大量の物を取り扱う倉庫では、人も機械の一部にならなければならない。

その上で成り立っている私たちの生活。

 

注文してその日のうちに届くとか、翌日に届くのが当たり前で、3日~4日かかると遅いと感じる。それって異常なことだったんだと改めて思った。

 

***

 

なんか、外資だな~って思ったのは、社員が7人しかいないのに社員用のロッカーが大量にあるところとか、ペットボトルの水が無料で配られるところとか、勤務中に首から下げるパスとパスケース、ああいうノベルティ文化、あるよな~~~って思った。ゴミだよあんなの。そんなの作る金があるなら他に回せよ。

 

***

 

物語に泣いたというより緩急のつけ方に泣かされた感じがする。

首を絞められてもうすぐ死んじゃうかも...…というところで手をふっと緩められて安心したところに、もう一回強く絞められて、また手を緩められる……。そういう、コントロールされてる感じが気持ちよくもあり、不愉快でもある。野木亜紀子さんの脚本はいつもそういうところがある気がする。もう少し、解釈に自由度が欲しい。

 

あと、「どんなに世の中がクソでも戦い続けろ」みたいなメッセージも感じる。私はこのメッセージがとにかく苦手だなあ。

だって、何もかも奪われて死を決めてしまうような人間がこの世の中にはたくさんいるわけだが、みんながみんな、今回の映画の中村倫也とその恋人みたいに、レジスタンスの姿勢で行動を起こせるわけじゃないもの。

戦う元気さえも無いような人だって世の中にはいる。元気も何もないのに、そんな人に戦い続けろなんて言うのは無茶だよと思う。みんなそんな元気なんて無いよ。

へとへとに疲弊して、でも死ぬのもこわくて死ねなくて、生きているっていうより死んでいないだけっていう状態で、今日もギリギリで働いている。そんな人が助かる術ってないのかな。みんなそんな元気なんて無い。助かりたい、誰かに助けてもらいたい。しかし、助けてもらうためには声をあげなければならない。元気がなくて、声をあげることができないと、助けてもらえない。

どうしたらいいんだろう

 

そして、野木さんの作品を絶賛したりカップリングとして消費している界隈も本当に苦手。

『ラストマイル』とか『MIU404』とか『アンナチュラル』はさ、メチャクチャ説教くさいというか社会にブチギレている感じの作品なのに、それをBLとかカップリングで消費できる無神経さがヤバすぎる。気持ちはわかるけど、わかるけどさ……。

 

***

 

『アンナチュラル』の白井くんの話が本当に本当に大好きなのですが、自殺した友達、いじめで殺された友達、と共にもう自分も死ぬのだと宣言していた白井くんが『ラストマイル』では、いままさに死のうとしている人の命を救うために薬を届けていて、思わず泣いちゃった。

 

中堂さんによる「許されるように、生きろ」という台詞やミコトの「あなたが死んで何になるの?あなたを苦しめた人の名前を遺書に残して、それが何?彼らはきっと、転校して、名前を変えて、新しい人生を生きていくの。あなたの人生を奪ったことなんてすっかり忘れて生きていくの」という台詞が地続きになって今の彼を形作っているんだな、と思う涙が出た。

 

そして『虎に翼』の高瀬くんだったのね、望月歩さん。インスタを見たら家系ラーメンが好きなようで、なんだか可愛いなと思って笑ってしまった。

 

***

 

IT周りの話。

『MIU404』のこと、記憶が朧げではあるんだけど、404 not found のあたりでんんん?と違和感を感じて、今回『ラストマイル』でもWebとかDBの技術周りでんんん??となった。

 

まず、ホワイトハッカーという単語がなんだか恥ずかしい。削除した履歴を確認するために岡田将生はログを見ただけなのに、ハッキングして確認した、みたいになっててヤバかった。

 

あとDBを検索してるとき、出品者と倉庫に出勤した人を掛け合わせて照合かけてたね……。なんか、検索結果が出るGUIの画面があったね……。DBに詳しいわけじゃないんだが、そんな検索ができるものなの……?できるものだとは思うんだけど、なんかんん?と思った。出品者と倉庫に出勤した人を紐付けるキーがあるってことでしょう。しかもそのあと購入した商品も照会できていた。

 

例えば、私が今持ってるAmazonのアカウントで、出品者になったとして、そのあと倉庫で出勤したときも同じアカウントを使う、みたいな……。え、どうなんだろう、技術的には可能だと思うけれど、そんな設計をするのかなあという話。技術力がなくてよくわからないけど……。

 

あと、人事情報を誰でも見れるのもコンプライアンス的にヤバいよね……。というかあんな簡単なプロフィール帳みたいな画面で人事情報って管理されてるのかしらん……。岡田将生も検索できてたしね、一般社員でも他の社員の人事情報見れるのはダメでは……。

 

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算数が苦手すぎて爆弾の個数がわからなくて混乱した。

「爆弾(11個)全部見つかりました〜」→

「そのうち1個は犯人が使いました」→

「やっぱりまだ爆弾あと1個ある!」のところで、え?12個?13個?10個?みたいな混乱をした。犯人が使った分も含めて11個とカウントしていたけど、調子が悪い爆弾1個を犯人が使ったわけで、それと合わせるとあともう1個見つかってないという状況。あとで考えればちゃんとわかるのに、映画のスピード感で理解するのが難しかった。

 

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エレナ、福岡から来た設定いる?犯人だとミスリードさせるための装置でしかなく、アメリカ本社から来たテイでよくね?私が何か見落としがあるのかな。


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『ラストマイル』を見る前から米津玄師の新しいアルバムを聞いていて、『がらくた』も聞いていた。

 

失くしても壊しても奪われたとしても 買えないものはどこにもなかった

 

という歌詞に椎名林檎の『ありあまる富』を思い出した。

 

僕らが手にしている富は見えないよ

彼らは奪えないし壊すこともない

世界はただ妬むばっかり

 

もしも彼らが君の何かを盗んだとして

それはくだらないものだよ

返して貰うまでもない筈

何故なら価値は生命に従って付いている

 

私は事あるごとに『ありあまる富』のことを思い出して、私の中には誰にも奪えない豊かさ、富があるのだと思っていた。

でも、大人になるにつれ、様々な経験を重ねるにつれ、そして『がらくた』を聞くにつれ、もはやそういったものも全て奪われて、尊厳も何もないような状況になってしまうこともあるのだと思った。そして全て、何もかも買える。代替が利く。

 

自分自身の価値は誰に毀損されるものでもなく、ただ存在するだけで尊いのだと思いたい。でも、『ラストマイル』の中村倫也みたいに、尊厳みたいなものを誰からともなくゴリゴリと削られてしまって飛び降りるような選択を迫られる人に、いったい何が残っているのだろう、と思う。(8/31 追加:ベルトコンベアを止めるためには飛び降りなければならないと視野が狭くなっている時点でもう壊れてしまっている)

 

もちろん回復し、転職すれば、また違った人生が始まるのかもしれない。でもその可能性はかなり低そうに思えた。植物状態から戻らないのだとしたら、普通に生きることも、普通に死ぬこともできない、狭間の状態で、彼には一体何が残されているのだろう。父親も死んだし、恋人さえも、死んでしまった。

こんな状態で戦い続けられるわけがない。

 

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役者陣について

 

満島ひかりさん

もともと満島ひかりさんのことはそこまで好きではないし、嫌いでもない。『カルテット』は大好き。なんだろう、ちょっと苦手。

 

うまく説明できないんだけれど、満島ひかりの台詞の発し方、たとえばサ行の発音とか、色々な発音が気になってしまう。これは高畑充希とかも同様で、 口をすぼめて話す瞬間があり、その、まだらな発音が気を逸らしてくる。なんだろうな、たとえば「テンキュー」を「テンキユウ」と発音するみたいな、 「〜でしょう」を「〜でshow」と言うみたいな、うまく言えないんだけど、言葉の粒の大きさがいつもなぜだか気になる。

 

ガタガタ震える演技、よかった

 

 

大倉孝二さん

NODA・MAP『兎、波を走る』で大倉孝二さんを生で見たんだけど、演技を楽しんでいる感じがしてすごく好きになったんだよね。存在感もすごくある人だなと。

 

で、今回の映画の中ではさ、ずっとロジスティクスを言えないおっさんの横でギャーギャー騒いでて、最終的に「言えた」ってすとんと落ちるところがまた良くて。

 

「俳優として好きな人を挙げてください」と言われたとき、私はおそらく大倉孝二さんと江口のりこさんを挙げると思う。フラットな演技がいいんだよね、でも「この人何を見ても大倉孝二/江口のりこだな」とならないのがいい。

 

中村倫也さん

中村倫也じゃん!というサプライズがもうピーク。

 

ベルトコンベアに向かって飛び降りることをひらめき、テーブルをセットして、興奮状態で笑みを浮かべ、スッと真顔になり、瞳の光が消灯し、走り出す、というあの一連の動作がよかった。

 

飛び降りて、頭から血が出ているときに見た、ベルトコンベアがまた動き出した時の絶望感。

この世はクソだなと思ったよ。

 

井浦新さん

井浦新って赤ちゃんなんだよね

『おっさんずラブ-リターンズ-』の井浦新も赤ちゃんだったもの。みんなが保護する井浦新。

 

綾野剛さん

結婚してから演技に対するスタンスが変わった気がして、なんだかよかった。

 

直近だと『カラオケ行こ!』や『地面師たち』で綾野剛を見たんだけど、『GANTZ』『新宿スワン』『コウノドリ』『最高の離婚』、あと歌歌ってる時代の綾野剛とはなんか違う気がした。

結婚してから、なのかなんなのかよく分からないけど……。というか私って綾野剛のこと好きなのかもしれない、というか好きなのでした。綾野剛と結婚して苗字を変えたいと言っていたこともあったので(私の本名を知る人は分かる話)。

 

伊吹、あんなに多動な人間だったかな.......

 

宇野祥平さん・火野正平さん

ドライバーの親子から絶えず漂っている死の香り。

家にいる時間よりも長く、あの車内にいたら、というか、もうあの車内に住んでいるようなものだよね。あの車内で過ごせば過ごすほどに、あの顔つきになるんだろうなって思った。

スニーカーの汚れ具合とかすごかったじゃん。

そんで、私たちが普段宅配を受け取るときに見るドライバーの人の顔ってあんな感じじゃん。全体的に薄汚れていて、でもそれって別にシャワーを浴びて清潔になったとしても絶対に落とせない、体の芯まで染みついたものじゃん。

よかったなあ。

 

阿部サダヲさん

阿部サダヲの役どころがキツすぎる。上からも下からも色々言われて板挟みの状態で、上層部の求める理想と、現場の実態の板挟みで働いていかなければならないの、つらいだろうな。

 

パートナーと一緒に映画を観たんだけど、パートナーがしきりに「手帳型スマホで電話するときに手帳の表紙の部分を折り返さずに開いた状態のまま電話するのって電話しづらそう」と言っていた。

 

私としては、ベンチに寝っ転がりながら煙草吸ってるシーンと、徹夜明けで髪の毛がペトペトになった阿部サダヲがよかった。徹夜明けとかお風呂入らなかった日の翌日の髪の毛ってペトペトになる、あの質感、わかるな~って思った。

 

***

 

映画が始まる前の予告でさ、なんか失踪モノの邦画の予告が多くて、「みんな消えてくな」ってパートナーがボソッと言っててウケた。

 

『ラストマイル』、なんというか映画を見ている最中に「これあと何分くらいだな」っていうのが全然分からない映画だった。だいたい今これ中盤だなとか、2時間のうち1時間40分あたりだなとか予想がつくんだけど、そういうのが分からなくて、そういう体験もよかった。

 

今週仕事がすごく忙しくて、お昼休みちゃんと1時間取れた日が1日もなかった。休めたとしても30分で、一週間のうち2~3日はご飯も食べられずにずっと仕事してて、なんか一瞬会社辞めようかなって頭によぎった瞬間もあって、ヤバいなと思った。食事と睡眠は大事だなと映画を見て改めて思った。

 

 

いまさらCCNAの勉強をして合格した話

CCNAとは

CCNA 認定は、絶え間なく変化する IT 環境に対応できる能力を持っていることを証明します。CCNA 試験は、ネットワークの基礎、IP サービス、セキュリティの基礎、自動化およびプログラマビリティを対象としています。俊敏性と汎用性を考慮して設計された CCNA は、今日における最も高度なネットワークを最適化して管理するために、必要なスキルを保持していることを証明するものです。

CCNA のトレーニングコースを受けて試験に合格することで、あらゆる方向でキャリアを積むための基礎を身につけられます。シスコの認定を取得すれば、あなたが厳密さと標準技術を身につけ、市場のニーズを満たす以上の存在であることを企業が認めている証明となります。

CCNA - Training & Certifications - Cisco

とのこと。

 

受験のきっかけ・試験前後の知識レベルについて

仕事を始めてから7年目(当時)、インフラエンジニアとコンサルタントの間を彷徨って仕事をしています。応用情報技術者は新卒一年目のときに取得しましたが、実務においてネットワークに触れたことがほぼありません。AWSやAzureで仮想ネットワークを作ったことがあるくらい、それもサブネットやルーティングの知識がほとんど無いまま適当にやっていました。しかし仕事をしているとネットワークと密接に関わる状況に置かれることも多く、このままではいかんぞ、ということで重い腰をあげてCCNAの勉強を始めました。

 

とにかくネットワークに対して苦手意識がありました。「L2スイッチ」と聞くと拒否反応が出るというかなんというか、そもそもスイッチとは何か、スイッチとハブは何が違うのか、スイッチとルーターは何が違うのかを私は知りませんでした。

 

また、職場やSNSで出会うネットワークエンジニアは一癖も二癖もあるような人が多く、それもネットワークの苦手意識に拍車をかけました。

 

CCNA取得前、データプレーン、コントロールプレーン、マネジメントプレーンといったSDNの基本概念を理解できていませんでした。仕事で必要になるたびにその都度ググってQiitaを読んでそのときは納得したつもりになって、でも結局腹落ちはしていませんでした。どこが何のプレーンなのか、分かっていませんでした。

 

CCNAの勉強を通して、SDNの基本概念は理解したつもりです。ざっくりと、データプレーンは実際にパケットを送受信するところ、コントロールプレーンはルーティングテーブルの交換などの役割を担うところ、マネジメントプレーンはコントローラーに向けAPIを実行するところ……。頭の中で図が書けるようになり、腹落ちしたので、もうその都度ググらなくても大丈夫になりました。Northbound API、Southbound APIについても理解しました。ただ、North-Southの通信の流れについては理解したけど、East-WestはCCNAの範囲じゃなかったので正直あんまり理解していないような感じです。

 

なぜCCNAを選んだかというと、新卒一年目のネットワークエンジニアが取るような資格、という印象があったからです。社会人7年目にしてCCNAの勉強を始める……ということもあり本記事のタイトルに「いまさら」と付けています。IPAのネットワークスペシャリストでも良かったのですが、午後の記述式の対策のハードルが高いことや、試験が年に一回しか開催されないこともあり選択肢からは外れました。LPICやLinuCはCCNAに合格したら勉強しよう、と思っていました。

 

結果

合格

 

 

後述しますが、私はシミュレーション問題をすべてスキップしたので、Network Fundamentals やNetwork Accessのあたりのスコアが悪いんだと思っています。

 

実績

  • 勉強期間:2024å¹´2月下旬~2024å¹´7月末

  •  勉強時間

    •  目標:218時間

    • 実績:222時間(目標時間+4時間)

勉強方法

勉強のルール

  • 平日は2時間勉強する
  • 基本的に土日祝は勉強しない(してもよい)
  • 旅行・飲み会・食事のなどの予定がある日は勉強しなくてもよい(できれば1時間勉強する)
  • 夫と喧嘩したときや精神的につらいときは勉強しなくてもよい
  • 前借りはしない、しかし借金をしたら返すというルール
    • 目標時間を達成したらそれ以上勉強しない(前借りはしない)
    • 勉強できなかった日や、その日の勉強時間が目標時間に満たなかったときは、後日その分の勉強をする(借金したら返す)

使用したアプリ

  • Studyplus:勉強時間の記録用のために使用
  • Notion:ノートとして使用
  • Excel:勉強時間の目標と実績(Studyplusでは週次での目標設定しかできない&目標時間をグラフ化して確認できないためExcelを使用)、あとは問題集の得点を記録するために使用した
  • ストップウォッチ:https://stopwatch.onl.jp/ のサイトを頻繁に使った

使用した教材

使用しなかった教材

勉強方法

  • まずは事前調査をします
    • 使用する教材、使用しない教材、勉強時間、目標の点数をインターネットに転がっている合格体験記を50件ほど読んでリスト化しつつ決めていきます。
  • 次に、4,268円もする重くて分厚い白本を買い、覚悟を決める
  • Notionで自分用のノートを作りながら以下を読む・見る
    • 3分間ネットワーク(第0回~第81回)を読む
      • 合格体験記に3分間ネットワークを挙げている人はごく少数だったのですが、新卒時代に先輩から「3分間ネットワークを読め」と言われて読み始めたはいいものの途中で挫折したという記憶が頭の片隅にあり、手始めにこれを全文読んでノートに書くことから始めました。
      • 文章の量に対する情報量がそこまでではないので、とっつきやすかったです。
      • 随分と前にサポートが終了したAdobe Flash Playerが使われている箇所については、Chromeの拡張機能を使えば見ることができました。
    • CCNAイージス(第1章~第30章)を読む
    • 白本を読む
    • Youtubeのまさるの勉強部屋を見て理解を深める
  • ping-tや白本などの問題集を解く。
    • 正答率が75%になってきたタイミングで試験の予約をしました。

勉強のコツ

IPアドレスの計算周りはExcelを活用していました。自力で計算するのは二の次で……。そしてちょっとダサいやり方な気がするので公開するのが恥ずかしい。もう少しおしゃれなやり方だったらよかったかもしれないけれど、別にこれで十分だった。

 

サブネットを計算したいときは、左からカーソルを合わせて合計値を見る(キャプチャの場合は224)

 

「〇台分のIPアドレスが必要」という問題のときは、右からカーソルを合わせて合計値を見る(キャプチャでは合計:31。/27でネットワークアドレスとブロードキャストアドレス分を引いて29台分のアドレスを確保できる、と分かる)

暗記のコツ

  • IPv6
    • マルチキャストアドレス(ff00:/8):「ファイナルファンタジー」
    • ユニキャストアドレス
      • グローバルユニキャストアドレス (2000::/3) :「2000年グローバル化」
      • リンクローカルユニキャストアドレス (fe80::/10) :「鉄」←???謎の覚え方
      • ユニークローカルユニキャストアドレス (fc00::/7) :「ユニークFC(ファンクラブ)」
  • デフォルトゲートウェイ冗長化プロトコル
  • STP
    • 「Spanning Tree “Day”」→ IEEE802.1D で標準化されている
      • IEEE802の規格はIEEE802.1Q、IEEE802.1ad、IEEE802.1W、IEEE802.1X、あとは無線LANのIEEE802.11の規格などがあり一生覚えられる気がしなかったので、せめてSTPに関してはSpanning Tree “Day”という謎の記念日を仮定することで覚えました
    • 「STPのSはSmallのS」
      • STPにおいてルートブリッジにしたい場合はプライオリティを0にします
      • 一方OFPSはDRとBDRの選出の際に、プライオリティ値が最も”高い”ものが選ばれます
      • この、プライオリティの高いほう/低いほうはSTPなのかOSPFなのか一瞬迷うときがあったので、「STPのSはSmallのS」と覚えるようにしました
  • RSTP
    • 「ル代」(かもめんたるの 岩崎う大さんの発音で覚える)
      • ルートポートのバックアップは代替ポート
      • 指定ポートのバックアップはバックアップポート
  • ポリシングとシェーピング
    • 「ポリ破棄」(ポリスが何かを破棄しているイメージ)

金額

  • 白本:4,268円
  • Ping-t:6,380円
  • CCNA受験料:46,860円
  • 合計:57,508円

受験方法

  • 試験予約
  • 受験
    • 「128 64 32 16 8 4 2 1」というのをまずホワイトペーパーに書いて、IPアドレスの計算周りの問題がいつ出題されてもいいように準備しました
    • シミュレーション問題は3問出題されました。
      • デフォルトルートの設定だけはしましたが、あとは全部飛ばしました。
      • Ping-tのコマ問でコマンド問題もある程度勉強はしていたのですが、シミュレーション問題で時間を食うよりも、シミュレーション問題を捨てて、それ以外の問題で点を取ったほうが効率的だと思ったがゆえの判断です(CCNAは全問解き終えたあとの振り返りや修正ができないため、1問1問を着実に正解していく必要がある)
    • 複数選択問題については、全部にチェックを入れて明らかに違うものからチェックを外していく、というスタイルで勉強していたのですが、試験中にそれをやろうとすると「チェックできるのは2個までです」といったポップアップがご丁寧に出てきてしまい、できない。PMPのように斜線やハイライトが引けたらいいのだがそれもできない。間違っているものを選択肢から外していくのではなく、正しいものを選択していくほかないのが地味にダルい
    • Cisco語については特に抵抗はないものの、確認のために英語に変換して読みたいときもある。が、英語に変換する機能はない。AWSã‚„Microsoft の試験は英語に変換する機能があったと思うけれど……。
    • 問題の傾向としてはルーティング関係の問題が多いように感じました。IPv6の問題は1問か2問と少なめ。サービスポートやディストリビューションポートなども苦労して覚えたけどそんなに出なかった。RADIUSã‚„TACACS+もそんなに出なかった

最後に

やっとネットワークの基礎を理解した、という感じ。ようやくスタートラインに立てた感じがする。

 

シミュレーション問題を全飛ばしした人間が何を言うかという感じかもしれないけれど、丸暗記ではなくて、ちゃんと理解しようという思いで勉強を進めたがゆえに、5か月も勉強していた。最初の2か月はとにかく教材を読んでノートをまとめる時間で、後半は問題集を解く時間だった。合格体験記を読むと1か月とか2か月で合格したという優秀な方がたくさんいたけれど、私はその方たちのような合格に最先端で到達するための効率重視の勉強はしなかった。もちろん合格することは大事だけれど、それよりも自分の実になる勉強がしたかったので、それができてよかった。

 

毎日2時間のCCNAの勉強に加え、毎日15分韓国語の勉強をしていて、何気に勉強を両立できたのもよかった。

 

次はもう少し軽めの勉強をしようかなと思っています