【大矢レポート】 1月の小正月が終わった時、東京の伯母が亡くなったとの連絡が親戚から入り、急遽上京する事になった。 今まで親戚関係の冠婚葬祭は父が出席・参列していたが、父が亡くなってからは私の仕事になったからだ。 前日、懇意にしている方の御母堂様の通夜が三条であり、連日の葬儀にあたふたしながらも東京での2日間の通夜・葬儀に参列して来た。
東京の通夜・葬儀は新潟県と違い、私も過去一度だけ通夜に参列してそのしきたりの違いに戸惑ったことがあるが、それは今から30年ほど前の事、大切な取引先の会長さんがお亡くなりになり社葬が行われた時のことであった。
当時、何も知らなかった私は新潟の通夜のつもりで開業したばかりの新幹線に乗り宿泊ホテルも予約して駈けつけた。 ところが東京の通夜は遺族・親族だけが葬儀場内の椅子に腰をおろし、檀飾りに向かってお坊様がお経を唱えている時参列者が焼香台に立ちお参りして帰るという形で、お参りが終わったところで一緒に行った東京のメーカーの方に「あとは何処へ行って何をすれば良いのですか?」と尋ねた。
新潟であればお参りした後、別室で軽くお酒やおつまみなど頂く通夜振る舞いがあるので、こちらでも何かあるだろうと思って聞いたら、返って来た答えが「すべて終わりましたから大矢部長さんは新潟へ帰ってもいいですよ」ということであった。
今回の伯母の通夜も遺族や私達親族は暖房の効いた葬儀場内の椅子に腰をおろし、お坊様と一緒に配られた教本でお経を唱えていたが、お参りに来た人たちは次から次へと葬儀場内へ入り、お参りが済むとさっさと帰って行った。
驚いたのは、お経が終わるとお坊様のご法話があったが、ご法話の間は入口の戸が閉められ、少し遅れてお参りに来た人は寒空の外でご法話が終わるのを待ち、終わるとお参りをしてお帰りになった。
伯母の葬儀なので告別式にも参列したが、東京の斎場は驚くばかりで、ホテルの様なビルの中に12基(人口10万人の三条市でも5基)もの火葬炉を備えていた。 それでも東京は亡くなられる方が多いようで、新潟であればお坊様の都合日時を聞いてから葬儀日程を組むのだが、東京では1週間待たないと火葬炉が空かない為、まず斎場の日程を聞いてから葬儀日程を組むのが一般的だとの事であった。
それはともかく今回の葬儀で一番困ったのがホテルの手配であった。 会社の出張などであれば前もって贔屓にしているホテルなどに手配出来るが、葬儀となると急な上に今回は受験シーズンが重なって葬儀場近くのビジネスホテルもシングルは空いておらず、やっと見つかったのが浅草にある今まで利用した事の無い形式のホテルだった。
それでもホテルにチェックインし部屋へ入って窓を見るとスカイツリーの夜景が綺麗に見え、部屋にはフード付キッチンや乾燥機付ランドリー、大型冷蔵庫、オーブンなどが備えてあり、ビジネスマン向けということで室内には色々な設備が整っていた。
夜のスカイツリー
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大矢レポート「東京の葬儀に参列して」
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