今回のトリビアは地獄といえば中世最大のエポックとも言うべき古典中の古典
ダンテの「神曲」でしょう。
『神曲』は3篇から成っています。「地獄篇」「煉獄(れんごく)篇」「天国篇」の3つです。「地獄篇」が序歌1歌+33歌の計34歌,「煉獄篇」「天国篇」がそれぞれ33歌で,合計100歌,1万4233行から成る壮大な叙事詩と解説されていますが、当時は地獄に行って来たのとジパングに行って来たのとが同列で論じられるような閉鎖社会でした。
当然キリスト教社会を中心に考えていましたけど、対立軸としてのイスラム社会、人外魔境としての印度、支那、阿弗利加の存在も無視できない。大航海時代を目前に控えた時代風潮として黙視できないものであったことは全編から感じ取れます。
そして、この地獄の世界観に頭から反発してキリスト教(特にカソリック)を受け入れなかったのが日本人であったわけです。
何故なら、キリスト教の布教には大盲点があって、キリストが現れる以前の庶宗教の信奉者は無洗礼者だという事実を如何ともしがたいからです。たとえば世界4大聖人の内のマホムンドは対立者であるから仕方ないにしても、ソクラテスはどうなるのか、仏陀はどうなるのか、孔子はどうなるのか。彼らはまとめて地獄流しなのか?そんなことは現世の信奉者の子孫も先祖も首を縦に振ることはできないでしょう。
バイキングの王ではないですけど「先祖の居ない天国よりは、先祖と一緒の地獄へこそ死後は住みたいものだ、それに何の躊躇がいるものか」となってしまうのも必定です。
わが国でも
新井白石は
宣教師シドッチ(しろうて)に虚心坦懐に訊ねています。「それほど(全知全能の)立派な造物主殿であれば、なぜ天竺や唐土、本朝にも教えをついぞ垂れなかったのか、おかしいではないか?」と突っ込まれるのも当然なのではないでしょうか。
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テーマ : 地獄少女
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