枝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 23:21 UTC 版)
概説
枝とは、草木(植物)の幹から分かれた茎、あるいは分かれた茎や葉の総称である。人々に馴染みの深いのは樹木の枝である。が、広義には、藻類などの、分枝構造で樹木の枝に外観が似ているものもこの名で呼んでいる[3]。→#植物の枝
人は、身近なことを用いて概念的なことや高度なことを理解する[4]。人にとって草木は身近なものであり、様々なことをしばしば草木の枝になぞらえて理解している。
漢字では木の根元部分や中心部分(幹の部分)を示すために、「木」の字の縦線の下方に横向きのしるしをつけ「本」と書く。 戦国時代の武士は、日ごろ拠点にしている本城(根城)に対して、その他にある城を枝城と呼ぶことがあった[5]。中世や近世の日本において、新田を開発したことで元の村(本郷、元郷)から分出した村を枝郷と言った。
日本語では木以外の「枝」に木偏(きへん)抜きの支の漢字があてられていることや(支流、支線、支社)、岐の漢字があてられて表現されていることがある(分岐など)。
植物の枝
枝という名称は、木や草の芽が成長してできた茎や葉をひとかたまり、ひと単位として呼ぶ総称である[3]。広義には、外観がそれに似た分枝構造もこの名で呼び、たとえば藻類の分岐構造についてもこの名称を用いることがある[3]。
枝分かれすることや、枝分かれした部分を学術的には分枝と言う。生物学的に言うと、植物の分枝にはいくつか様式があり、同じ勢力で2分することを繰り返すのが二叉分枝と呼ばれ、これが系統学的には古いもの、とされている[6]。この二叉分枝から単軸分枝や仮軸分枝が派生することになった[6]。
植物の枝の関連項目
信仰と枝
キリスト教
カトリック教会・ルーテル教会などの枝の主日では、棗椰子(なつめやし)や棕櫚(しゅろ)などヤシ科の植物などの枝(現代の植物学的に言えば「葉」にあたる)を聖別する。正教会では聖枝祭に相当する。これは、イエスがエルサレムに入城する時、群衆が棗椰子の枝を持って、当時 王を迎える時にしていたのと同じように迎え入れたことにちなむ。
その翌日のこと、祭りにきていた群集は、イエスがエルサレムにこられると聞いて、シュロの枝を手に持ち、迎えに行った。そして叫んだ。 「ホサナ。主の名によってこられる方に、祝福あれ、イスラエルの王に。」 — ヨハネ 12:12-13
また次のたとえはしばしば言及される。
日本の仏教や神道
日本の仏教ではシキミの枝が供養などに用いられることがある。仏壇の脇に配置したり、墓前に供えたりする。
神道ではサカキの枝が神事に用いられることがある。
枝と同じ種類の言葉
品詞の分類
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