鳥羽伏見の戦い
とばふしみ‐の‐たたかい〔‐たたかひ〕【鳥羽伏見の戦い】
鳥羽・伏見の戦い (とば・ふしみのたたかい)
鳥羽・伏見の戦い
鳥羽・伏見の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:12 UTC 版)
慶応4年(1868年)1月3日、 旧幕府側の発砲で鳥羽・伏見の戦いが勃発すると、容堂は自分が土佐藩兵約100名を上京させたにもかかわらず、藩兵にはこれに加わるなと厳命した[要出典]。しかし、在京の土佐藩兵らは、容堂の制止を振り切り、薩土密約に基づいて自発的に官軍側に就いて戦闘に参加した[要出典]。同1月7日、西郷から「討幕の合戦近し」という密書を受け取り、さらに開戦したことを土佐在国中に谷干城から報告を受けた乾退助は、薩土密約に基づいて迅衝隊を率いて上洛した[要出典]。容堂は、京都を進発する前夜の2月13日、東山道へ出発する乾率いる土佐迅衝隊に、寒いので自愛するよう言葉を与えた[要出典]。
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