鳥井信治郎
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鳥井 信治郎(とりい しんじろう、1879年〈明治12年〉1月30日 - 1962年〈昭和37年〉2月20日)は、日本の実業家。サントリー(現・サントリーホールディングス株式会社)創業者。
- ^ やってみはなれ精神とは?サントリーの研究開発(2018年4月1日閲覧)
- ^ 【聞きたい】サントリーホールディングス社長・新浪剛史氏「海外企業買収 成功のカギは/世界の全従業員 理念を共有」『朝日新聞』朝刊2018年1月10日(金融・経済面)
- ^ 山田恭久編『戦後初の北嶺千日回峰行者 叡南祖賢大阿闍梨 叡南覺範・村上光田・藤光賢・堀澤祖門が語る比叡山の傑僧』49頁 善本社、2023年
- ^ 「高僧が高僧を語る オーラルヒストリーから見えてくる人生訓」 読売新聞オンライン2023年4月10日
- ^ ジャパニーズウイスキー物語 水薫る
- ^ “NHK連続テレビ小説:外国人ヒロイン、視聴者の反応は 「マッサン」29日から”. 毎日新聞 (2014年9月18日). 2014年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月13日閲覧。
- 1 鳥井信治郎とは
- 2 鳥井信治郎の概要
- 3 著作
- 4 系譜
鳥井信治郎
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「ジャパニーズ・ウイスキー」の記事における「鳥井信治郎」の解説
鳥井信治郎は小西儀助商店での丁稚奉公を経た後、1899年に独立して鳥井商店を設立した。最初は調合ウイスキーの販売とともに、洋酒の輸入販売を行ない、スペインから輸入したワインを瓶詰にして売り出していた。しかし、ワインは当時の日本人の口には合わず、評価は芳しくなかった。1906年に社名を寿屋洋酒店に変更し、翌年にポルトガルワイン(ポートワイン)をもとに独自開発した「赤玉ポートワイン(現在の赤玉スイートワイン)」を販売して成功する。ところが鳥井は赤玉ポートワインでの成功に満足せず、生涯の業績となるような新しい事業に着手した。その事業というのが日本人向けのウイスキーの製造であった。 鳥井は模造ウイスキーである「ヘルメスウイスキー」「トリスウイスキー」を発売するが、本格的な国産ウイスキー生産の必要性を感じ、蒸留所を日本国内に設置することを計画する。しかし、ウイスキーの生産はスコットランドやアイルランド以外の地では不可能だという意見、蒸留所建設のために莫大な資金を投入するリスクを理由として、社員、スポンサー、学者たちからは反対の声が多く上がる。
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