魚津城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 12:41 UTC 版)
魚津城(うおづじょう)は、富山県魚津市にあった日本の城(平城)。別名、小津城、または小戸城。松倉城の支城のひとつ。天正10年(1582年)6月の本能寺の変直前の魚津城の戦いの際、柴田勝家率いる織田軍が攻囲していた城として有名。魚津市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.4[2][3]。
- ^ 「魚津市の文化財リスト」魚津市公式HP
- ^ 「とやま城郭カードが完成しました!」砺波市公式HP
- ^ 「とやま城郭カード一覧」砺波市公式HP
- ^ 『魚津の楽しい絵ほどき歴史』(1986年3月31日、広田寿三郎著、北陸堂書店発行)40ページ『魚津城の戦い - 戦国時代』より。
- ^ 『北陸の名城を歩く 富山編』(2022年9月1日、佐伯哲也著、吉川弘文館発行)217頁。
- ^ a b 『北陸の名城を歩く 富山編』(2022年9月1日、佐伯哲也著、吉川弘文館発行)218頁。
- ^ 佐々家は養子や兄の一族が細川氏・水戸徳川氏・上杉氏などで存続。
- ^ 同年発生の死者まで出した蒲生騒動に伴う上杉家の東蒲原と新川の交換による。このため秀吉もしくは豊臣家からの新川郡の領知判物がなく(現在の前田家(「加賀藩文書」前田育徳会など)にも加増や城の受け取りを記した記録はあるが、公儀の領地宛行状などは現存せず)、江戸時代に徳川幕府から越中国の返上を迫られる一因にもなる。
- ^ 『ふるさと石川歴史館』(2002年6月10日、北國新聞社発行)530頁。
- ^ 『とやま文化財百選シリーズ(5) とやまのお城』(2009年3月、富山県教育委員会 生涯学習・文化財室発行)16ページ。
- ^ 角川日本地名大辞典 16 富山県(1979年(昭和54年)10月8日、角川書店発行)147ページ
- ^ 『北陸の名城を歩く 富山編』(2022年9月1日、佐伯哲也著、吉川弘文館発行)219頁。
- ^ 「魚津市史」に、「天正元年(1573年)4月に甲斐の武田信玄が病没し、上杉謙信が越中及び加賀の半ばを制圧し魚津城外にて詠む」と記される。
- ^ 魚津市ホームページ「天地人と魚津」、「魚津の城」ほか
- ^ 「魚津古城絵図」(魚津図書館蔵)による。
- 1 魚津城とは
- 2 魚津城の概要
- 3 歴史
- 4 遺構・復元建造物
- 魚津城のページへのリンク