集落移転問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/08 15:24 UTC 版)
1962年に始まった新潟東港整備事業の一環で、太郎代地区に埠頭や工業団地を造成する計画が立てられ、これに伴い集落を集団移転させる計画が浮上した。このうち新渡の集落は1968年に太夫浜地内に新たに造成された宅地へ集団移転し、移転先の地名は「新富町」となった。 残る太郎代の集落についても集団移転する方向で県と地元住民が話し合いを続けてきた。既に工業地化が進み、住環境が次第に低下し始めたことから住民の多くは集団移転を求めていたものの、県側が示した土地買収提示額の低さに難色を示す地主も多く、協議は遅々として進まなかった。さらに1990年代前半にバブル景気崩壊によって経済情勢が変化したこともあって、仮に集落を移転し工業地化を進めても利用の見通しが立たない状況に陥ったことから、結局2002年に県は工業地化を断念、集落の移転も凍結された。 この間、太郎代は上水道や下水道、都市ガスなど生活インフラの整備が他の地域よりも立ち遅れていた。また、一部の住民は集団移転が行われる前提で住宅の建替え・改修なども行わなかったこともあいまって、劣悪な環境下で生活し続けていた。だが、このように集団移転計画が宙に浮いたことから、これらインフラの再整備を行う必要が生じるなど、新たな問題も引き起こしている。 太郎代の上水道は1983年秋から、県と東港周辺の市町村による事務組合「新潟東港臨海水道企業団」が事業を行っていた。同企業団は東港周辺の企業向けに大口の上水道配水を行う目的で設立されたものだが、太郎代は前述の通り工業用地化を前提としていたため、同企業団の管轄区域とした上で「簡易水道」として配水する措置が取られていた。しかし同企業団は東港の開発停滞が慢性化して業績不振となり、2009年秋に全業務を明和工業へ譲渡して解散した。明和工業が業務を継承した後も、太郎代へは簡易水道としての配水業務を継続している。なお、新潟市水道局は太郎代における配水業務には携わっていない。
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