除雪の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 23:35 UTC 版)
日本 江戸時代以前における除雪技術に関する文献は、ほとんど見当たらない。 江戸時代になると、屋根のひさしを伸ばし各家同士を連結させた雁木造によって歩道に雪が降らないような対策が取られた。 雁木造がない歩道は、地域の住民が回覧板(道踏み板)を回すことで雪踏み当番を決めて、藁でできたバケツの底に草履が付いたような踏俵(ふみたわら)や雪俵、専用のかんじきなどを履いて踏み固めた。木で作った雪べら、竹などを編んで作った新雪用のジョンパというスコップが使用された。家の壁面に雪が積もると室内が寒くなることから、雪囲い、雪垣という竹や木材でできた囲いで壁面に直接雪が積もるのを防止した。 除雪機などなかったので第二次世界大戦前後までは、屋根では除雪用の木鍬(クシキ、コシキ)、屋根と地面に板を渡して屋根の上から安全に雪を降ろせる雪樋(ユキドヨ)、雪運搬用に用いられた雪串(ユキグシ)や背負い籠(コエカゴ)が用いられた。茅葺屋根では、棟の方からバランスよく雪を降ろすなど家に負担をかけないような作法が見られる。 札幌市では、1886年にロシアから馬に曳かせて道の除雪・圧雪を行う三角ぞリが輸入され、そのほかの馬車も三角ぞりに改造して使用した。 日本では、1890年(明治23年)ごろから鉄道の除雪が考えられるようになった。1911年(明治44年)には、木製のラッセル車が日本の鉄道(北海道1台)に導入された。しかし、1927年までは、ほとんどの鉄道では人力による除雪が行われていた。
※この「除雪の歴史」の解説は、「除雪」の解説の一部です。
「除雪の歴史」を含む「除雪」の記事については、「除雪」の概要を参照ください。
- 除雪の歴史のページへのリンク