鋼管線→JFE線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 00:03 UTC 版)
「京浜急行バス羽田営業所」の記事における「鋼管線→JFE線」の解説
系統番号なし: 蒲田駅 - 出雲小学校 - 萩中 - 大師橋 - 四谷下町 - 臨港警察署前 - 日本鋼管(後のNKK前→現・JFE) - 富士電機前 - 成就院前 - 川崎駅(1970年11月23日まで、川崎鶴見臨港バス浜川崎営業所と共同運行) 蒲45:蒲田駅東口 - 蒲田郵便局前 - 出雲小学校 - 萩中 - 大師橋 - 産業道路駅 - 四谷下町 - 臨港警察署前 - JFE前 大田区内から日本鋼管京浜製鉄所(現・JFEスチール東日本製鉄所京浜地区)への通勤輸送を目的として戦後に開設されたもので、戦前に神奈川県内部分を走っていた同じ京急グループの海岸電気軌道(後の鶴見臨港鉄道軌道線)との直接の関係はない。 「京浜急行電鉄#未成線」および「海岸電気軌道#歴史」も参照 京浜急行電鉄品川営業所時代の1949年(昭和24年)にはすでに大森駅と桜本の間に路線があったとされる。現在の形の基礎となるのは東京営業所時代の1957年(昭和32年)に運行を始めたものである。翌1958年(昭和33年)には川崎鶴見臨港バス浜川崎営業所の川25系統と組み合わさって、蒲田駅 - 大師橋 - 池上新田 - 日本鋼管 - 成就院前 - 川崎駅という長大路線になった。 「川崎鶴見臨港バス浜川崎営業所#川25系統(富士電機線)・川26(富士電機循環)・川29系統(入船橋循環線)」も参照 昭和30年代の全盛期には池上新田で川崎市電渡田線、トロリーバス水江線への接続運転を行い、昭和40年代前半には末端区間が休止された京急大師線の代替という役割もあった。そして、1970年(昭和45年)の大師線末端部正式廃止と同時に日本鋼管と川崎駅の間を廃止し、京急の単独運行に戻された。 「塩浜駅 (神奈川県)#休止後の代替バス」および「川崎市電#塩浜 - 池上新田間の休止後」も参照 鋼管線はその後、日本鋼管と川崎製鉄との合併に伴いJFE線と改められるが、末期には平日朝夕に2往復が運行される事実上の免許維持路線と化した。そして、乗務員不足に伴う不採算路線整理のため、2020年(令和2年)1月15日限りで廃止となった。 JFE前での折り返しは共管時代の名残で臨港バス浜川崎営業所車庫内を利用していた。JFE前での降車は臨港バス浜川崎営業所および川崎市バス転回場よりも大師橋寄りの降車専用停留所、乗車は臨港バス停留所ではなく川崎市バス川40系統のものを使っていた。 「川崎市バス塩浜営業所#渡田線」も参照
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