ちょうさ‐ほうどう〔テウサホウダウ〕【調査報道】
調査報道
調査報道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 05:13 UTC 版)
「ジェシカ・ミットフォード」の記事における「調査報道」の解説
1961年5月にジェシカはアラバマ州モンゴメリーに旅し、『エスクァイア』にアメリカ合衆国南部の心性についての記事を書いた。滞在間、ジェシカは友人とフリーダム・ライダーズの到着に立ち会い、クー・クラックス・クランがに率いられた暴徒が公民権運動家を襲撃する暴動に巻き込まれた。暴動の後、ジェシカはマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが率いる決起集会に参加した。この会合に使われた教会もKKKに襲われ、ジェシカを含めた一同は州兵による暴力が鎮圧されるまでバリケードを築いてその中で一夜を過ごした。 ロバートは組合や死亡給付金に関する仕事をする中で葬儀業界に関心を持ち、ジェシカにこのテーマについての調査記事を書くよう強くすすめた。『フロンティア』誌で発表された記事「聖ペテロさま、お呼びではないのですか」はあまり広く流通したわけではなかったが、ジェシカが葬儀業界代表者2名と地方局のテレビ番組に出演した時にかなりの関心を引きつけた。一般大衆はこのテーマに関心があると確信したジェシカは『アメリカ式死に方』(The American Way of Death)を執筆し、1963年に刊行した。 この本でジェシカは、悲しんでいる家族を利用する無節操な業界の習慣を厳しく批判した。この本はベストセラーになり、葬儀業界に関するアメリカ合衆国議会聴聞会も開かれた。この本は、トニー・リチャードソン監督が1948年のイーヴリン・ウォーの短編「ご遺体」を原作として1965年に撮った映画『ラブド・ワン』にも影響を与えた。 『アメリカ式死に方』の後、ジェシカは調査報道を続けた。1970年には『アトランティック・マンスリー』に「今こそフェイマスライターズを見直そう」を書き、ベネット・サーフが設立した通信教育講座フェイマスライターズスクールが疑わしい運営を行っていると暴露した。1970にベンジャミン・スポックをはじめとする5名の男性が徴兵法に違反したかどで基礎された裁判を追ったThe Trial of Dr. Spock, the Rev. William Sloane Coffin, Jr., Michael Ferber, Mitchell Goodman and Marcus Raskinを刊行した。1973年にはアメリカの監獄システムを厳しく批判したKind and Usual Punishment: The Prison Businessを刊行した。 ジェシカは1973年の秋学期にサンノゼ州立大学特別教授になり、ウォーターゲート事件やマッカーシズムの時代をカバーする"The American Way"という授業を担当した。忠誠の誓いと指紋提出について学部長と意見が合わなかったため、キャンパスでは抗議活動が行われ、ジェシカは教育を続けるため裁判に訴え出ざるを得なかった。
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