調整期(1985~87年)
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「軍服 (中華人民共和国)」の記事における「調整期(1985~87年)」の解説
1976年の毛沢東の死後、文革路線の否定とその後の中越戦争の見通しを超える損失を受けて、人民解放軍においても装備・組織の近代化、階級制度の復活が課題となった。だが膨大な人員を抱え革命精神の継承者を自認する解放軍の組織改革には時間が掛かり、最終的に階級制度(軍服における階級章)が復活するのは、文革終了後10年以上を経過した1987年以降である。ただそれに先立つ過渡的な処置として、1985年から人民解放軍の軍服に指揮官と一般兵士の区別が設けられた。これを通称「八五式」軍服という。 まずあご紐・つば付き制帽が復活し、併せて「五五式」と同様の帽章も復活した。ただし「五五式」の帽章が胴部に付いたのに対し、この「八五式」制帽ではクラウン部に付けられ帽章も五五式の物と比べると大きいサイズの物となった。胴部のいわゆる「鉢巻」の色は陸軍が赤、海軍が黒、空軍が青で、あご紐は一般兵が革製、指揮官が銀色のモールが用いられた。なお海軍の一般兵は世界共通の「セーラー帽」スタイルである。 上着は、基本的に「六五式」の折襟に赤い平行四辺形の襟章というスタイルを継承しつつ、襟章に軍種による色の区別(海軍-黒、空軍-青)を付け、さらに指揮官用上着には肩章(中央に「八一」金文字入り赤い星章が付く)が付き、また指揮官の襟章には金色の縁取りと金色の星章が付けられた。なお海軍の一般兵用上着は世界共通の「セーラー服」スタイルである。 またこの時期実質初めての迷彩服が開発された。この迷彩服は通称「81式迷彩服」と呼ばれるもので共産圏ではこの時期ソ連軍などでも見られた形式の上着とズボンに分かれ、通常の軍服の上から着込む形式の迷彩服であり、表裏で模様の違う迷彩となるリバーシブル仕様となっている。中越戦争で使用された。 85式。海軍兵、1986年
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