ばんしょ‐しらべしょ【蕃書調所】
蕃書調所
蕃書調所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:21 UTC 版)
安政3年1856年 蕃書調所教授手伝となる。竹橋御蔵にある汽車模型、電信機を動かすことが初仕事となった。同年にプロイセン王国の外交官フリードリヒ・アルブレヒト・ツー・オイレンブルクが献じた電信機、写真機の伝習に加藤弘之とともに着任。 安政4年1857年 スタンホープ手引印刷機を、古賀謹一郎から動かすように命じられる。 万延元年(1858年)10月 器械学主任に命じられる。洋文書物『ファミリアル・メソード』が印刷された。当初はローマ字活字だったが、文久年間には邦文活字も作られて二十数部の書籍が発行された。 文久元年(1861年)4月 物産学取り立ての建白を行う。
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