じょめい‐てんのう〔‐テンワウ〕【舒明天皇】
舒明天皇
舒明天皇は名を田村皇子といい、父は敏達天皇の子の押坂彦人大兄皇子。
母は糠手姫皇女(田村皇女ともいう)。
推古天皇の崩御後、皇嗣を定めていなかったことから皇位をめぐり争いが起きた。
大臣の蘇我蝦夷は田村皇子を推し、一方、聖徳太子の子の山背大兄王も皇位を望み許勢臣大麻呂らに推挙された。
結果は蘇我蝦夷が山背大兄王方の一人で蝦夷の叔父である境部摩理勢を殺害することによって決着がついた。
田村皇子は即位して舒明天皇となり、飛鳥岡本に宮を移した(630年)。
舒明は姪にあたる宝皇女(後の皇極天皇・斉明天皇)を皇后として、葛城皇子(後の天智天皇)、間人皇女(孝徳天皇皇后)、大海人皇子(後の天武天皇)をもうけ、さらに蘇我馬子の娘法提郎媛との間に古人大兄皇子をもうけた。
舒明の時代の事績としては630年の第一回遣唐使の派遣があげられる。
舒明が没する前年640年に聖徳太子によって遣隋使として派遣されていた南淵請安、高向玄理が唐(隋から唐に変わった)から帰国する。
30年余学んだ大陸の文化等を日本国に伝えた。
母は糠手姫皇女(田村皇女ともいう)。
推古天皇の崩御後、皇嗣を定めていなかったことから皇位をめぐり争いが起きた。
大臣の蘇我蝦夷は田村皇子を推し、一方、聖徳太子の子の山背大兄王も皇位を望み許勢臣大麻呂らに推挙された。
結果は蘇我蝦夷が山背大兄王方の一人で蝦夷の叔父である境部摩理勢を殺害することによって決着がついた。
田村皇子は即位して舒明天皇となり、飛鳥岡本に宮を移した(630年)。
舒明は姪にあたる宝皇女(後の皇極天皇・斉明天皇)を皇后として、葛城皇子(後の天智天皇)、間人皇女(孝徳天皇皇后)、大海人皇子(後の天武天皇)をもうけ、さらに蘇我馬子の娘法提郎媛との間に古人大兄皇子をもうけた。
舒明の時代の事績としては630年の第一回遣唐使の派遣があげられる。
舒明が没する前年640年に聖徳太子によって遣隋使として派遣されていた南淵請安、高向玄理が唐(隋から唐に変わった)から帰国する。
30年余学んだ大陸の文化等を日本国に伝えた。
第34代天皇 | |
天皇名 | 舒明天皇 |
読み方 | じょめいてんのう |
名・諱等 | 息長足日広額天皇 |
読み方 | おきながたらしひひろぬかすめらみこと |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 629年から641年 |
生年 | 593? |
没年 | 641 |
父 | 押坂彦人大兄皇子 |
母 | 糠手姫皇女 |
兄弟 | 茅渟王 |
配偶者 | 宝皇女・法提郎媛 |
皇子女 | 葛城皇子・大海人皇子 |
即位宮 | 飛鳥岡本宮 |
天皇陵 | 押坂内陵 |
所在地 | 奈良県桜井市大字忍阪 |
舒明天皇 押坂内陵
(じょめいてんのう おさかのうちのみささぎ)
舒明天皇
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