そう‐とう【総統】
総統
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総統(そうとう、英語: führer, fuhrer、ドイツ語: Führer、中国語: 元首)とは、「全体をすべくくること」[1]、国政・軍事全体を統括すること[2]、またはその統括者[2]、最高指導者(the Supreme Leader)[2]、最高主権責任者(Chief Sovereign Officer)[3]。特にナチ哲学や決断主義などの全体主義的体制において、総統または指導者は、強い精神力を持ち唯一神に似た立場として国家の運命を決定するとされており、その典型例は指導者原理とされる[4][5]。
- 1 総統とは
- 2 総統の概要
総統(国民指導者)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 15:31 UTC 版)
「サーラシ・フェレンツ」の記事における「総統(国民指導者)」の解説
政権掌握後、サーラシはドイツの反ユダヤ政策に協力し、国内に居住する10万〜15万人のユダヤ人を殺害し、8万人のユダヤ人をアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に移送した。また、ドイツ軍に協力しソビエト連邦との戦いのため総動員を布告し、工業・農業資源をドイツ軍に提供し、老人や少年を徴兵し赤軍との戦闘を継続した。その一方で、サーラシは政治思想をまとめた著作の執筆や国内の視察に明け暮れたため、政務の大半は副首相のセッレーシ・イエネー(ハンガリー語版)が代行した。 しかし、サーラシが政権を掌握した時点でハンガリーの大半はソ連軍に占領されており、10月29日にはソ連軍・ルーマニア軍がブダペスト攻勢を開始した。ドイツ・ハンガリー軍は劣勢に立たされ、サーラシは12月9日にソンバトヘイに脱出した。サーラシら指導者は3月にはウィーンに脱出し、3月27日に国民統一政府は事実上崩壊した。4月にウィーン攻勢が開始されると、サーラシはミュンヘンに脱出した。脱出後の4月29日、長年交際していたルッツ・ギゼラ(英語版)と結婚した。
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