竹村良貞とは? わかりやすく解説

竹村良貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/29 06:52 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
竹村良貞

竹村 良貞(たけむら よしさだ、文久元年11月25日[1]1861年12月26日)- 昭和15年(1940年6月9日)は、明治期ジャーナリスト政治家、帝国通信社社長。

経歴

越後国生まれ。高田藩士の子として生まれ、藩校に学び明治10年の役で従軍。その後、慶應義塾に入り、1881年(明治14年)に卒業した。郷里に帰り高田新聞を創刊するが、高田事件で入獄した。

1883年(明治16年)、報知新聞に入社。その後、報知新聞が時事通信社[2]と合併した際に帝国通信社の社長となる。

1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙において新潟県憲政本党から、1917年(大正6年)第13回総選挙では憲政会から立候補し、代議士となっている。その他に東京市会議員、麹町区会議長を歴任した。

脚注

  1. ^ 漆崎多四郎『貴衆両院議員名鑑』、1919年、13頁。
  2. ^ 現在の時事通信社とは無関係。1888年三井物産創業者の益田孝によって創立された通信社。

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

','','','','','','','','','','','','','','','','','',''];function getDictCodeItems(a){return dictCodeList[a]};

すべての辞書の索引

「竹村良貞」の関連用語










竹村良貞のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable(){return sideRankTable};

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



竹村良貞のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの竹村良貞 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS