神体山とは? わかりやすく解説

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神体山(しんたいざん)

古代人は山を神の住むところと考えていたが、やがて山そのもの神体として信仰するになったもの。

神体山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/27 06:12 UTC 版)

神体山(しんたいさん)とは主に神道においてが宿るとされる山岳信仰神奈備(かむなび・神々が神留まる森林を抱く山)のをいう。




「神体山」の続きの解説一覧

神体山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:18 UTC 版)

諏訪大社」の記事における「神体山」の解説

『画詞』に「当社大祝此れ神体として崇敬異他の重職なり」とある通り中世には上社祭祀対象大祝であるという認識が根強かった。 山を上社の神体とする現存する最古文献天文22年1553年12月奥書のある『上宮鎮坐秘伝記』である。 古記に云はく、神の岩隠か、諏方国鎮座の処、宮社を造らずして、唯拝殿を之を建て、山を以て神体為して之を拝す則ち父の尊、大和国三輪の神陵に傚(なら)ひて建る。神の和魂・陰霊鎮座の処なり。(原漢文) これが守屋山神体山説の元と考えられているが、ここには守屋山の名は出てこない。江戸時代文献には守屋山筆頭神官神長官を務め守矢氏祖先洩矢神あるいは物部守屋)の霊を祀るとはあるものの、守屋山上社の神体山とうかがわせる記述はない。守屋山を神体山とする説はむしろ明治時代以降から見られるのである実際に山頂石祠物部守屋祀る守屋神社伊那市高遠町)の奥宮とされている上にそれには御柱がなく、諏訪背を向けている。ただし、諏訪明神守屋大臣洩矢神)と覇権争いをした際に降臨した場所は守屋山の麓という『諏訪重解状』(伝・1249年)に書かれている伝承見られるように、この山は必ずしも上社とは全く関係がないとは言えない。織田氏による甲州征伐1582年)の際に神輿担いだ神官たちが避難した先は守屋山であったと言われている。

※この「神体山」の解説は、「諏訪大社」の解説の一部です。
「神体山」を含む「諏訪大社」の記事については、「諏訪大社」の概要を参照ください。

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