珍しい例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 23:46 UTC 版)
架空の人物ではあるが、シャーロック・ホームズのブルー・プラークがベーカー街221Bに設置されている。 日本人では、夏目漱石のブルー・プラークがロンドン留学時代の最後の下宿に設置されている。
※この「珍しい例」の解説は、「ブルー・プラーク」の解説の一部です。
「珍しい例」を含む「ブルー・プラーク」の記事については、「ブルー・プラーク」の概要を参照ください。
珍しい例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 14:32 UTC 版)
1984年9月場所では、東序ノ口50枚目の佐野(二所ノ関部屋)が、13日目の七番相撲を終えて7連敗。更に14日目に組まれた八番相撲でも敗れて「0勝8敗」となった。長らく幕下以下1場所7番制導入以降、「1場所で0勝8敗」の公式記録を残した史上初のケースとなった。 1998年11月場所では、西幕下筆頭に在位した豊桜が、初日から休場したものの、7日目から途中出場し13日目を終えて「1勝3敗3休」だった。しかし千秋楽に十両の北勝光との割が組まれ、これに勝ったことで当場所の公式上の成績は「2勝3敗2休」とされ、翌場所の番付編成上も「2勝5敗」と評価された。幕下以下1場所7番制導入以降、上述の経緯で幕下上位力士の「1休」が取り消された唯一のケースである。 2005年11月場所では、西幕下4枚目に在位した玉光国が、13日目の7番相撲を終えて7連敗。千秋楽に八番相撲が組まれたが、対戦相手は東十両14枚目で14連敗していた燁司だった。幕下の全敗力士に十両力士との八番相撲が組まれ、しかも相手も当場所全敗という、非常に珍しいケースであった。更に燁司が取組前に引退届を提出して、割返しが行われなかったことから、玉光国が八番相撲の不戦勝で勝ち得となった。 2008年9月場所では、千秋楽前日の取組編成中に十両の玉春日が引退の意向を示し、審判部に直接出向き「千秋楽の割から名前を抜いてもらいたい」と願い出たため、東幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越しを決めていた若荒雄に千秋楽に八番相撲が組まれるというイレギュラーな事態が発生した。 上述の青葉山以降、3勝4敗の幕下力士に八番相撲が組まれたケースは一度もなく、勝ち越しを決めた幕下力士に八番相撲が組まれたケースも1988年9月場所で6勝1敗から八番相撲に負けて6勝2敗(番付編成上6勝1敗扱い)となった駒不動と、上述の若荒雄の2例のみである。 2011年1月場所では、12日目終了時点で出場者が奇数となったため、14日目に序ノ口の山田(玉ノ井部屋)に八番相撲が組まれたが、14日目に十両の舛ノ山が休場しその日は不戦敗になり、千秋楽の割から舛ノ山が消えたため、千秋楽に幕下の持丸に八番相撲が組まれ、結果的に幕下上位と序ノ口で各1名の力士が八番相撲を取った。 2018年5月場所では、13日目終了時点で出場者が奇数となったため、初日から12日まで休場していて13日目から途中出場した序ノ口の北薩摩(千賀ノ浦部屋)(13日目の取組で服部桜に勝利し1勝6休)に対して14日目に13日目以降の3日間で2番目となる割(前述のようにこれは八番相撲とは扱われない)が組まれ、それに勝利し公式記録としては2勝5休(2勝5敗相当)となった。その14日目に十両の朝弁慶が休場しその日は不戦敗になり、千秋楽の割から朝弁慶が消えたため、千秋楽に幕下の天風に八番相撲が組まれた。結果的には、八番相撲を取った幕下上位の力士と、公式記録から休場が1つ消えた序ノ口の力士が、同じ場所で各1名発生した。 2018年11月場所では、東幕下3枚目に在位した玉木に1勝6敗から極芯道との八番相撲が組まれたが、幕下力士の八番相撲は千秋楽に組まれることが多いところ、このケースでは14日目に組まれた。なおその結果は勝利で、2勝6敗の「勝ち得」となった。また玉木は同年1月場所でも八番相撲を経験しておりその時も希善龍に勝利しており、平成以降では初めて複数回八番相撲で勝利した力士となった。 2019年3月場所で、西序ノ口15枚目の服部桜(式秀部屋)が七番相撲まで7連敗の後、千秋楽で八番相撲が組まれて敗れたため「0勝8敗」となり、幕下以下では前述の佐野以来34年ぶり2人目の「1場所0勝8敗」となった(平成では初、唯一のケース)。さらに2020年3月場所でも八番相撲を取り0勝8敗を記録した。これは令和では初、また1人の力士が2度記録した初めての例にもなった。その後も令和2年9月場所、勝南桜に改名した令和3年1月場所でも八番相撲が組まれ、いずれも0勝8敗を記録し、通算4度の0勝8敗を記録している。 2020年7月場所では、西幕下筆頭に在位した矢後が、千秋楽に八番相撲が組まれ、対戦相手は西十両10枚目の朝弁慶だったが、朝弁慶が取組前に休場届を提出して、割返しが行われなかったことから、矢後が2例目の八番相撲の不戦勝で勝ち得という事例となった。 2021年1月場所では、13日目終了時点で出場者が奇数となったため、13日目に敗れて0勝7敗となった勝南桜に対して14日目に八番相撲が組まれ、前述の通り敗れて0勝8敗となった。その14日目に十両の美ノ海が休場しその日は不戦敗になり、千秋楽の割から美ノ海が消えたため、千秋楽に幕下の中園に八番相撲が組まれて常幸龍に勝利した。そのため結果的には、八番相撲を取り勝利して勝ち得を得た幕下上位の力士と、0勝8敗となった序ノ口の力士が、同じ場所で各1名発生した。 2021年3月場所では、13日目終了時点で出場者が奇数となったため、13日目で7番取り終えて1勝6敗だった大志龍に八番相撲が組まれ、敗れて1勝7敗(番付編成上1勝6敗扱い)となった。その14日目に幕内の豊山が休場しその日は不戦敗になり、千秋楽の割から豊山が消えたため、千秋楽に1番分の休場を含む「1勝5敗1休」の成績となっていた幕下の竜勢に13日目以降の3日間で2番目となる割(それまでの休場が1休だけのため、これは八番相撲として扱われる)が組まれて矢後に敗れ、公式記録としては珍しい「1勝6敗1休」(番付編成上1勝6敗相当)となった。公式の星取表では成績欄に「●五」とは書かれず空白となった。結果的には幕下上位と序ノ口で各1名の力士が八番相撲を取った。また1番分の休場を含む幕下上位力士に八番相撲として13日目以降の3日間で2番目となる割が組まれたのは史上初であり、休場を含む幕下上位力士に13日目以降の3日間で2番目となる割が組まれたのも、前述の1998年11月場所の豊桜以来2例目である。 2021年9月場所では、西序ノ口11枚目の肥後光(木瀬部屋)が、13日目の七番相撲を終えて7連敗。更に14日目で八番相撲が組まれて敗れたため「0勝8敗」となり、幕下以下では前述の勝南桜以来3人目の「1場所0勝8敗」となった。 2021年11月場所では、西十両13枚目の平戸海が14日目の取組で負傷し、千秋楽取組編成会議前に休場届を提出して「不戦敗なしの休場」となった。これにより元々の予定で千秋楽の関取の取組に出場する力士(十両力士と対戦する幕下力士含む)が1人減って奇数となったため、東幕下2枚目で2勝5敗の對馬洋に八番相撲が組まれて十両の旭大星に勝利し3勝5敗となった。 2022年5月場所では、幕内の宇良が13日目の取組で負傷して14日目の取組より休場した。これにより元々の予定で千秋楽の関取の取組に出場する力士(十両力士と対戦する幕下力士含む)が1人減って奇数となったため、西幕下2枚目で2勝5敗の對馬洋に八番相撲が組まれた。對馬洋は前述の2021年11月場所でも八番相撲を取っており、平成以降では前述の玉木の他、磋牙司、島津海以来4人目の幕下で複数回八番相撲を取ることとなった。さらにその相撲で松鳳山に勝利し3勝5敗となり、玉木以来の八番相撲で複数回勝利をした力士となった。 2022年7月場所では、新型コロナウイルス感染に伴う休場力士が多く出た関係で、14日目に序ノ口の曽我に八番相撲が組まれたが、曽我の所属する伊勢ノ海部屋に新型コロナウイルス感染者が出て曽我を含む伊勢ノ海部屋の力士が全員休場となったことにより、7番目の13日目と八番相撲となる14日目の取組はいずれも不戦敗となっている(最終的な曽我の成績は1勝7敗)。さらに千秋楽の関取の取組数を確保するために幕下の明瀬山、千代嵐、王輝の3人にも八番相撲が組まれた(いずれも八番相撲前の成績は2勝5敗)。この中で明瀬山と王輝が勝利した(勝利により勝ち得で3勝5敗。一方、千代嵐は負けたため2勝6敗、負け得により番付編成上は2勝5敗扱い。)。これにより、この場所では幕下と序ノ口で4人も八番相撲が組まれた力士が出て、さらに八番相撲を取り勝利して勝ち得を得た幕下力士が複数発生するという史上初のことが起きた。
※この「珍しい例」の解説は、「八番相撲」の解説の一部です。
「珍しい例」を含む「八番相撲」の記事については、「八番相撲」の概要を参照ください。
- 珍しい例のページへのリンク