爆発的普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 09:51 UTC 版)
1960年代から1970年代には家電製品が多様化、いわゆる三種の神器に代表される大衆の強い購買意欲の対象となる家電製品が登場した。各家電メーカーやその前身の電気機器メーカーはこぞってそれらを発売、激しく競争して全国各地の電器店を支援しながら特約店契約を結ぶことで地域の電化に貢献・メーカーも潤い電器店も繁盛した。 この過程の中で各メーカーは電器店から得られた「消費者のナマの声」を新製品開発にフィードバックすることで、製品の質向上や取り扱い製品の拡充を行った。また各々のメーカーはそれぞれ独自色を持たせながら他メーカーと競合する製品を市場投入したが各々メーカー側の特約電器店同士が距離的に離れているため、緩やかな販売競争は見られたもののおおむね共存状態にあった。 この時代を通じて、各々の大手家電メーカーは「一つの家庭が求める全ての家電製品を一通りは作っている」という総合家電メーカー化を果たしている。これにより各々の特約店は安心して一社の総合家電メーカーに依存する形となった。 この時代にあっては日本全国津々浦々という形容詞通りの状況で、地方農村・漁村や離島にまでさまざまな家電メーカーの名を掲げた「電器屋さん」が見られた。その数は、現在のコンビニエンスストアにも劣らない。一例として、2001年ごろのパナソニック系列の「電器屋さん」とセブン-イレブンの店舗数を比べるとまだ圧倒的に「電器屋さん」の方が多数である。 当時の家電製品は単純な構造をしており簡単な機構的なトラブル(消耗品の損耗や部品の劣化・破損など)はこの「街の電器屋さん」に持ち込めば消耗品等は電器店に一定のストックがあったために大概はその場で修理され、必要な部品を取り寄せる場合でも一週間程度で電器店自らが直していた。どうしても直せないものだけがメーカーに送られ専門の修理スタッフが対応した。 メーカー各社も各々の特約店に修理のための技術提供を積極的に行うとともにこれら「街の電器屋さん」に積極的な支援を行うため各都道府県ごとにサービスステーションや支社の形で出先機関を設けて対応、ほとんど「各電器屋さんの裏庭まで各家電メーカーがバックアップに来ている」という状況を形成していた。定期的に電器店向けに商品の取り扱いから修理に至るまで全般的な商品説明会を行い、各電器店ではさらに契約している家電メーカーとの共存関係にあった。メーカー側はいくら自社で製品を販売する力があっても直営店を設けず、また各々の支社でも直接消費者に製品を販売しなかった。
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