浅井畷古戦場
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浅井畷古戦場(あさいなわてこせんじょう)は、石川県小松市大領町にある、浅井畷の戦いを知る上での重要な史跡である。1941年(昭和16年)に石川県指定史跡となっている。 浅井畷の戦いでは前田軍の最後尾を務めた長連龍の部下9人が戦死したと云われており、古戦場にはその9人の武将の石塔が建てられている。墓の形をしているが、実際は供養塔である。それぞれの石塔の向きや配置は不規則であり、それは戦死した9人の武将が倒れた方向に向けて建てられたためと伝えられている。 9人の武将の石塔は次のとおりである。 鹿島路六左衛門塔 - 高さ1尺4寸5分、巾6寸5分、横5寸5分。1849年(嘉永2年)に造立された。 柳弥平次塔 - 高さ2尺7寸3分、巾6寸5分、横6寸5分。1796年(寛政8年)に造立された。 八田三助吉信塔 - 高さ3尺3寸、巾1尺2寸7分、横8寸2分。造立時期は不明だが、1780年(安永9年)には小松城代富田景周によって存在が確認されている。 長中務連朗塔 - 高さ1尺6寸5分、巾1尺3寸、横7寸7分。造立時期は不明だが、1780年(安永9年)には小松城代富田景周によって存在が確認されている。 堀内一秀軒塔 - 高さ5尺6寸2分、巾2尺1寸1分、横7寸4分。1660年(万治3年) に造立され、9塔の中で最初に建てられた石塔である。孝孫堀内弥兵衛景明によって造立された。 小林平左衛門秀備塔 - 高さ4尺7寸、巾1尺3寸8分、横1尺3寸9分。造立時期は不明だが、1780年(安永9年)には小松城代富田景周によって存在が確認されている。 隠岐覚右衛門塔 - 高さ3尺7寸、巾9寸5分、横9寸9分。1796年(寛政8年)に造立された 鈴木権兵衛重国塔 - 高さ3尺3寸7分、巾1尺2寸1分、横8寸2分。造立時期は不明だが、1780年(安永9年)には小松城代富田景周によって存在が確認されている。 岩田新助吉忠塔 - 高さ3尺4寸6分、巾1尺2寸5分、横8寸2分。造立時期は不明だが、1780年(安永9年)には小松城代富田景周によって存在が確認されている。
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