浅井畷古戦場とは? わかりやすく解説

浅井畷古戦場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 10:22 UTC 版)

浅井畷の戦い」の記事における「浅井畷古戦場」の解説

浅井畷古戦場(あさいなわてこせんじょう)は、石川県小松市大領町にある、浅井畷の戦いを知る上で重要な史跡である。1941年(昭和16年)に石川県指定史跡となっている。 浅井畷の戦いでは前田軍最後尾務めた長連龍部下9人が戦死したと云われており、古戦場にはその9人の武将石塔建てられている。墓の形をしているが、実際供養塔である。それぞれの石塔向き配置は不規則であり、それは戦死した9人の武将倒れた方向向けて建てられたためと伝えられている。 9人の武将石塔次のとおりである。 鹿島路六左衛門塔 - 高さ1尺4寸5分、巾6寸5分、横5寸5分。1849年(嘉永2年)に造立された。 弥平次塔 - 高さ2尺7寸3分、巾6寸5分、横6寸5分。1796年(寛政8年)に造立された。 八田三助吉信塔 - 高さ3尺3寸、巾1尺2寸7分、横8寸2分。造立時期不明だが、1780年(安永9年)には小松城富田景周によって存在確認されている。 長中務連朗塔 - 高さ1尺6寸5分、巾1尺3寸、横7寸7分。造立時期不明だが、1780年(安永9年)には小松城富田景周によって存在確認されている。 堀内一秀軒塔 - 高さ5尺6寸2分、巾2尺1寸1分、横7寸4分。1660年(万治3年) に造立され、9塔の中で最初に建てられ石塔である。孝孫堀内弥兵衛景明によって造立された。 小林平左衛門秀備塔 - 高さ4尺7寸、巾1尺3寸8分、横1尺3寸9分。造立時期不明だが、1780年(安永9年)には小松城富田景周によって存在確認されている。 隠岐右衛門塔 - 高さ3尺7寸、巾9寸5分、横9寸9分。1796年(寛政8年)に造立された 鈴木権兵衛重国塔 - 高さ3尺3寸7分、巾1尺2寸1分、横8寸2分。造立時期不明だが、1780年(安永9年)には小松城富田景周によって存在確認されている。 岩田新吉忠塔 - 高さ3尺4寸6分、巾1尺2寸5分、横8寸2分。造立時期不明だが、1780年(安永9年)には小松城富田景周によって存在確認されている。

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