気骨のある人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 08:11 UTC 版)
秋田藩内の雄勝郡雄勝町秋ノ宮岳ノ下(現在の秋田県湯沢市)に、藩から肝煎(きもいり)として山の管理を任されていた父、菅太右衛門(九代目)の子として生まれる。 若い頃から気骨のある性格で、天保4年(1833年)に凶作による大飢饉があった時に、17歳の運吉は惨状を見かねて、藩に直訴し減租を願った。藩主はこの志にうたれて、これを免じたので、村人は救われた。天保8年にも同様に減租を請願し、受け入れられている。また、藩内の豊富な山林に着目し、これを移出して藩の財政を充実させることを進言している。秋田神社、京都下鴨神社に木材を寄進するなどの藩への功績に、佐竹藩主より名字帯刀を許されている。
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