橘保国とは? わかりやすく解説

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橘保国

読み方たちばな やすくに

江戸中期狩野派画家大坂生。橘守国の子幼名大助、号は秋筑堂・後素軒。画法を父に学び図絵能くした。守国と合作絵本がある。法眼叙せられた。寛政4年(1792)歿、76才。

橘保国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 04:10 UTC 版)

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橘保国
ヒト
性別男性 
国籍江戸幕府 
生年月日1715 
死亡年月日14 4 17921792 
埋葬地中央区 
父親橘守国 
職業画家町絵師 
読み仮名たちばな やすくに 
師匠橘守国 
活動地東京都大阪 
コレクション所蔵者国立世界文化博物館 (オランダ) 
作者の著作権状態著作権保護期間満了 

橘 保国(たちばな やすくに、正徳5年(1715年) - 寛政4年閏2月23日[1]1792年4月14日))は、江戸時代中期の大坂で活躍した狩野派の町絵師。

来歴

橘守国の子、門人。大坂の人。幼名は大助。父と同じ後素軒を号す、秋筑堂という堂号も用いたという。父について狩野派の画法を学び、父の業を継いで主に絵本の挿絵を描いた。父との合作もある。

著作として、宝暦5年(1755年)刊行の『絵本野山草』5巻5冊、宝暦7年(1757年)刊行の『画志』3冊、安永8年(1779年)刊行の『絵本詠物選』5巻などが挙げられる。そのうち『絵本野山草』は、165品にも及ぶ植物の特徴を精緻な図とともに記述した本である。反面、保国は肉筆画も描いたはずであるが、現在殆ど確認されていない。宝暦5年までに法橋明和7年(1770年)までに法眼位を得ている。寛政4年(1792年)閏2月23日死去。享年78。墓所は父と同じく、大阪市中央区中寺町の久成寺(くじょうじ)。

門人に、婿養子の橘保春、また橘守行も父守国か保国の弟子だったと想定される。

作品

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款 印章 備考
鯉図 紙本著色 1幅 個人[2] 安永6年(1777年
東海道富士図 紙本墨画 1幅 [3] 天明6年(1786年 法眼保国行年七十歳筆
鯉乃滝登り図屏風 紙本金地著色 六曲一双 本間 白鹿記念酒造博物館 寛政2年(1790年 法眼保国行年七十五歳筆(左隻) 朱文方印(各隻)

脚注

  1. ^ 墓碑より。ただし、諸書では「閏」が抜け落ちている。
  2. ^ 府中市美術館編集・発行 『動物絵画の250年』 2015年3月7日、p.28。
  3. ^ 仙台市博物館編集・発行 『江戸の旅 たどる道、描かれる風景』 2012年9月、p.129。

参考図書

関連項目




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