極高表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/23 06:48 UTC 版)
『輿図備志』は『東輿図』の仕様書として作成された。そのため、地図の製作に必要な事項を含んでおり、特に全国の主要地点、即ち行政区域の極高表を収録している。 1713年、清の使臣何国柱の一行が漢陽を訪れ、象限大儀を用いて漢城府鍾街の極高を実測し、北緯37度39分15秒、北京順天府を基準に漢陽が経緯10度30分という実測値を出した。これを根拠に正祖は1791年、監臣金泳に命じて漢陽の北極高度と『輿地図』の経緯線を準拠して、八道観察使営の極高及び東西経度を量定し、極高表を作った。 『輿図備志』には、正祖のときに量定した値であるのか金正浩が実測した値であるのかわからないが、全国の主要地点の極高を記録した極高表が記されている。咸鏡道25地点、平安道42地点、黄海道23地点、江原道26地点、京畿道38地点、全羅道53地点、慶尚道71地点、合わせて278地点の経緯度が表記された。それ以外にも全国の州県の疆域表、方位表、道里表などを図表に提示し、このような資料を根拠に経緯線式の科学的な『東輿図』を製作することができた。
※この「極高表」の解説は、「輿図備志」の解説の一部です。
「極高表」を含む「輿図備志」の記事については、「輿図備志」の概要を参照ください。
- 極高表のページへのリンク