みらい‐は【未来派】
未来派
未来派
【英】:FUTURISM
20世紀初頭、イタリアを中心に興った芸術運動。1909年2月20日、詩人マリネッティがパリの日刊紙『フィガロ』紙上に最初の「未来派宣言」を発表し、10年3月8日ボッチョーニ、カルラ、ルッソロ、バルラ、セヴェリーニがトリノの劇場で観衆を前にイタリアで最初の未来派運動宣言を行なった。新時代はそれにふさわしい生活様式と表現を必要とするとし、いっさいの過去を精算して速度とダイナミックな力の渦巻く機械文明の感覚を力強く表現することを主張した。造型の観点からは、対象の物質性を破壊してキュビズムから得た同時代性の思想を画面に定着し、運動の表現に新たな道を開いた点が注目される。運動としては1915年頃までで終ったが、ダダをはじめ20世紀芸術の諸運動に与えた影響は少なくない。印刷物を通じた幅広い広報活動をおこない、大正10年代の日本の美術・文学にも多くの影響を与えた。
未来派
未来派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 07:25 UTC 版)
未来派(みらいは)とは、フトゥリズモ(伊: Futurismo、フューチャリズム、英: Futurism)とも呼ばれ、過去の芸術の徹底破壊と、機械化によって実現された近代社会の速さを称えるもので、20世紀初頭にイタリアを中心として起こった前衛芸術運動。この運動は文学、美術、建築、音楽と広範な分野で展開された。1920年代からは、イタリア・ファシズムに受け入れられ[1]、戦争を「世の中を衛生的にする唯一の方法」として賛美した。
- 1 未来派とは
- 2 未来派の概要
未来派
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「20世紀のクラシック音楽」の記事における「未来派」の解説
詳細は「未来派」を参照 第一次世界大戦の開戦期から戦間期にかけてのイタリアでは、未来派と呼ばれる芸術運動が登場し、音楽の分野ではルイージ・ルッソロなどが活躍した。ルッソロは1913年に「騒音の芸術」を発表し、他の未来派の作曲家を中心として汽笛やサイレン、機関銃の発射音などの、一般的に「騒音」として片付けられる音を主体とした音楽を発表した。
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