服部玄三
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服部 玄三(はっとり げんぞう、1888年4月9日 - 1959年2月6日)は、日本の実業家。服部時計店(現セイコーグループ)第2代社長。第二精工舎(現セイコーインスツル)設立者。
人物・経歴
服部時計店(現セイコーグループ)創業者服部金太郎の子として生まれる。1905年東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)卒業。1909年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。1934年から服部時計店第2代社長を務め、1937年には時計生産継続のため別資本の第二精工舎(現セイコーインスツル)を設立した。日本の降伏後、1946年公職追放。墓所は多磨霊園[1]。
妻英子は宮内省大膳頭などを務めた上野季三郎の子。服部時計店第4代社長の服部謙太郎や、セイコー第5代社長の服部禮次郎は子。孫にヴァイオリニストの服部譲二など[2][3][4]。
脚注
- ^ “服部玄三”. www6.plala.or.jp. 2024年12月9日閲覧。
- ^ 竹内正浩『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇』実業之日本社
- ^ 「セイコーホールディングス(株)」日本大百科全書(ニッポニカ)
- ^ 木村登志男「 セイコーエプソン・事業多角化の起源」法政大学イノベーション・マネジメント研究センター
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