最終型
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「アルファロメオ・スパイダー」の記事における「最終型」の解説
1990年には最後の大変更を受けた。従来の対米輸出車に加え、EU向けに燃料噴射エンジンが与えられた。ノーズとテールを中心にスタイリングは改められ、特にテールデザインはヒット作となっていた164と共通のイメージとなった。ダッシュボードは豪華なものに一新され、パワーステアリングが標準装備となり、運転席エアバッグも装備された。3速オートマチックも選択可能となった。エンジンは1,962cc126馬力(対米仕様は120馬力)となり、グレードは基本モデルの「スパイダー」と、軽合金ホイールや本革シート・エアコンが与えられた上級版「スパイダー・ヴェローチェ」の2種があった。1993年をもって、27年間続いた初代モデルは生産を終了した。なお、シリーズ4スパイダーにはイタリア、ギリシャ、ポルトガルを販売地域とする1600cc109馬力キャブレターエンジンを搭載するモデルが存在する。
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最終型(1977年11月-1983年4月)
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「いすゞ・フローリアン」の記事における「最終型(1977年11月-1983年4月)」の解説
1977年(昭和52年)11月 - マイナーチェンジでシリーズ2(S-II)となる。フロントグリルを独立させて大型化、メッキ仕上げとし、ヘッドランプを当時の流行にあわせた規格型の角型4灯へ変更、バンパーも大型化された。 セダンのリアエンドもそれに対応させて垂直とし、バンパーを大型化してリアのナンバープレートをバンパー下部に移設した。 リアコンビランプもデザインを大幅に変更。リアウインカーを中央部に組み込み、さらに加飾を増やした派手なデザインの大きなものへと変わった。しかし給油口の位置は変更されていない。 ライトバンのリアまわりは、大型バンパーの装備以外はまったく手がつけられていない。 これらの変更は、ボディ外板の金型変更など大掛かりな手直しは一切ともなっておらず、すべてねじ止め部品を上からかぶせることで行われている。 結果、雰囲気は一変し、技術・品質・デザインの各方面で低迷していた同時代のイギリス車を彷彿とさせる威圧感ある風貌を呈したが、車幅やボンネット高に見合わないそのオーバーデコレーションは「悪趣味」と言われても仕方のないような風体で、「プアマンズ・ロールス」と巷で呼ばれることとなる。 車名もフローリアンS-IIに変更される。但しダッシュボードは、初期型からの左右対称型で、クーラーが助手席のグローブボックスに内蔵されたままである。 この後期型よりエルフで好評であった、C190型直列4気筒OHV・1951ccディーゼルエンジン搭載モデルが設定された。乗用車用として騒音を下げるため、燃料噴射ポンプの駆動方法がギアトレーンからコグドベルト(歯付ゴムベルト)へ変更されているほか、エンジン停止方法もエルフの燃料カットから、より振動の少ない、電動インテークシャッターによる吸気カットに変更されている。QOS(クイック・オン・システム、いわゆるクイックグロー)という予熱時間がほとんど要らないシステムとあわせ、これらはいずれも、ディーゼルエンジンを知り尽くしたいすゞの面目躍如ともいう出来映えであり、オイルショック以降の省エネルギームードのなか、一定の注目と評価を受けた。 1978年(昭和53年)この年には6195台を販売し、低迷した販売台数の底上げにディーゼルエンジン車が大きな効果を見せたが、同時期のライバル車にもディーゼルエンジン搭載車が追加されるようになり、ローレルが1978年11月、マークIIが1979年10月に登場した。これら2車は設計が新しいうえ、当初からパワーステアリングとAT車が設定されていた。原設計の古いフローリアンは競争力に欠け、販売台数も再び低迷する。 1979年(昭和54年)5月 - 小変更。ディーゼル車の燃料噴射ポンプを、列型(ボッシュA型)から分配型(ボッシュVE型)へ変更。同時に昭和54年排出ガス規制に適合し、型式がK-PAD30となる。 ステアリングホイールをジェミニ(PF50系)の3本スポークのものに変更。ここではダッシュボードの形状は変更されていない。 1980年(昭和55年)3月 - マイナーチェンジ。特徴的な左右対称のダッシュボードをやめ、先の117クーペと同様のデザインへ変更、ようやく冷暖房と除湿ができるエアコンが設定された。 ディーゼルのみATもラインナップされた。商品内容はアップしたものの、1981年には1976年(763台)以来、再び3桁台(490台)の販売にダウン。 1982年(昭和57年)10月 - 生産終了。それ以降は在庫対応分のみの販売となる。 1983年(昭和58年)4月事実上の後継車種となるアスカ(登場当初はフローリアン・アスカ)の発売に伴い販売を終了。
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