明治維新直後(1868年-)
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明治政府は教育の近代化を図り、高等教育機関を大学、中等教育機関を中学、初等教育機関を小学とする方針を打ち出した。 明治政府直轄の高等教育機関 - 大学寮代(京都学習院)(1868年4月4日)この後、東京大学の母体となる昌平学校、医学校、開成学校が廃止された江戸幕府の学問所から復興され、近代的な大学設立の中心となっていく。 近代小学校 - 上京第二十七番組小学校(京都市、現・京都市立柳池中学校)および下京第十四番組小学校(京都市、後に修徳小学校) (1869年開学)学制以前の番組小学校のうちの一つ。 近代中学校・高等学校 - 京都府中学校(現・洛北高校)(1870年12月7日) 女子校 - A六番女学校(現・女子学院中学校・高等学校)(1870年)キリスト教の宣教師によるミッション系女学校。英学塾(現・フェリス女学院、1870年6月1日)は1871年までは共学。 官立女子校 - 官立女学校(後、東京女学校)(1872年)
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