日本の時代区分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 05:56 UTC 版)
「日本史時代区分表」も参照 ヨーロッパ史学の時代区分が導入される以前に、現代の「戦国時代」が、当時の京都の公家たちに「戦国の世」と中国の春秋戦国時代をなぞらえて認識され呼ばれた。さらにこの呼び名は広まり、武田信玄の『甲州法度次第』第20条に「天下戦国の上は、諸事をなげうち武具の用意肝要たるべし」と使用された。明治時代に西洋学問として歴史の時代区分法を知るが、1873年(明治6年)小学校参考書に先行的に「戦国時代」が使用された。 明治時代の、歴史学における総合的な時代区分は、1903年(明治36年)内田銀蔵により西洋史学を当てはめる形式で、英語の歴史語モダンエイジを江戸時代だとして「近世」と訳し基点にした。そして江戸時代より前の時代はその時まで「近古」とされていたが英語の歴史語ミドルエイジを訳して「中世」と命名した。さらにその「中世」より前を一括して「古代」と名づけ、西洋史学三分法を適用して日本史三分法を提起した。それが研究者たちに支持され近代を末に加えて、日本史学での日本史時代区分となった。 先史 - 古代 - 中世 - 近世 - 近代 - 現代
※この「日本の時代区分」の解説は、「時代区分」の解説の一部です。
「日本の時代区分」を含む「時代区分」の記事については、「時代区分」の概要を参照ください。
- 日本の時代区分のページへのリンク