しん‐れいせん【新冷戦】
新冷戦
新冷戦(1979年-1985年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:08 UTC 版)
「冷戦」の記事における「新冷戦(1979年-1985年)」の解説
1978年に成立した共産主義政権を支えるために、1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻した。このため、西側世論が反発して東西は再度緊張、影響は1980年モスクワオリンピックへの西側に加えて中国、さらにエジプトやサウジアラビア、パキスタンなど親米のアラブ・イスラム諸国も加わったボイコットとして現れた。東側は報復として、1984年のロサンゼルスオリンピックをボイコットした。アメリカはCIAやチャールズ・ウィルソンらによる総額数十億ドル規模の極秘の武器供給などによる支援にてアフガニスタンの反共ムスリム武装勢力「ムジャヒディン」をエジプトやサウジアラビア、パキスタンなどとともに援助した。また、ソ連と対立する中国も武器や訓練でムジャヒディンを支援した。戦争を短期で終結させるソ連の目論見は外れ、侵攻の長期化によってソ連財政は逼迫し、アメリカは間接的にソ連を弱体化することに成功した。 人々は、このアフガニスタンの騒乱によって、世界には東西の陣営とは別にもう一つの勢力があることに気が付き始めた。それはイスラム主義と呼ばれる勢力であり、二つのイデオロギー対立とはまったく異なる様相を呈した。アフガニスタンではアメリカはソ連を倒すために、この勢力を支援したが、1979年イラン革命の際には、国際法を無視してアメリカ大使館が1年余りにわたり占拠された。アメリカは大使館員救出のために軍を介入させたが失敗、アメリカ軍の無力さを露呈した(イーグルクロー作戦)。イスラム教を創始した預言者ムハンマドの子孫(サイイド)でイランの最高指導者となったルーホッラー・ホメイニーは「ソ連は小悪魔、米国は大悪魔」「我々は西でも東でもない」としてイスラム主義の時代を謳った。 このイラン革命によってアラブ諸国や東西諸国は動揺し、1980年にイラン・イラク戦争となって火を噴いた。欧米ソ中はイスラム革命が世界に広がることやさらなる石油危機を恐れ、イラクを援助して中東最大の軍事大国に仕立てた。戦争は長期にわたり、1987年には米軍が介入したが、決着のつかないままに終わった。しかし、この時のアメリカによる中東政策が、後の21世紀の世界情勢に大きな影響を与えることになった。一方、ソ連は国内情勢の変化(下記参照)によって1989年には泥沼のアフガンから完全撤退、世界から急速にソ連の影響力が弱まりつつあった。 主な出来事 イラン革命(1979年) イラン・イラク戦争(1980年-1988年) ウィスキー・オン・ザ・ロック(1981年) フォークランド紛争 (1982年) ロナルド・レーガンによる「悪の帝国発言」と戦略防衛構想(1983年)
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