文部大臣
文部大臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 02:34 UTC 版)
1993年(平成5年)細川内閣の文部大臣に就任。非自民連立政権にあって、文教行政に関して、非政治性、非宗教性が強く求められたことや女性、民間人の積極登用の目的で赤松に白羽の矢が立った。文相に就任した早々、高校野球における丸刈りの強制に反対したり、甲子園のベンチに女子マネージャが入れないのはおかしいとの意見を述べたりした。また、公務員の結婚後の通称使用、教科書検定の公開、国立大学施設費の予算増額などを検討した。1994年(平成6年)、細川内閣の総辞職後に発足した羽田内閣にも留まったが、これは2ヶ月あまりで瓦解したため、赤松も文相を退任した。 なお、男子中学生に対する丸刈り強制問題に関して、「丸刈りは戦争中の兵隊を思い出しゾッとする」と発言し、後に撤回した。しかし、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}この発言をキッカケとして、日本各地で丸刈り校則見直しの動きが加速されることとなった。[要出典]また、女子マネージャ甲子園のベンチの件は、辞任後の96年夏、東筑高校(福岡)の女子マネージャが初のベンチ入りを果たした。 2003年(平成15年)11月3日、扇千景とともに女性として初の旭日大綬章を受章した。 国際女性の地位協会10周年を記念して、「赤松良子賞」が設けられた。
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