改革開放以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/03 20:37 UTC 版)
1978年の中共11期3中全会で「改革開放」路線が打ち出され、生産責任制などにより市場経済への移行が進むにともない、安価な賃金を前提とする労働力市場の拡大が中国経済の拡大を支えるという構図を確立する一方、安価な労働力を確保する必要性が、労働者の権利をなおざりにする傾向を助長した。貧しい農村地域からも、賃金収入を求めて大量の労働者である「農民工」とその家族が都市へ流入した。当初は「盲流」すなわち目的なき(人口)流動と呼ばれたこの人たちは、後に「民工潮」と言い表され、都市と農村をつなぎ、伝統的二重構造を崩壊させる存在として注目された。しかし、彼らは職を得て都市に定住しても、戸籍は出身地の農村に置かれたままになり、都市戸籍を得られるわけでない。このような「農民工」の多くは、二級市民として差別され、貧困から抜け出せない生活を余儀なくされた。
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