成因・地理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/26 08:31 UTC 版)
新生代第四紀更新世にあたる約10万年前頃に、背後の丘陵前面の浸食谷に古砂丘が発達、その上を約5万年前の大山火山の活動で噴出した大山倉吉軽石が覆って、水が浸透しなくなったことが成因とされている。海跡湖か堰止湖かで論議されたが、現在では山陰最古の堰止湖ということになっている。 北西部に位置する、弁財天を祀っている半島はかつては「大島」と呼ばれる湖沼内の島嶼であった(江戸時代の古地図等で確認できる)。それが砂丘の進出に伴い埋め立てられ、砂で陸続きとなった。他にも多鯰ヶ池には幾つかの島嶼の記録があるが、大部分は中央部に位置する暗礁であり、夏期などの大きな池面の減衰が起る期間に姿を見せる。冬期の増水期も池面から姿を覗かせているのは北東部に位置する通称「小島」であり、それがまさに蛇伝説の舞台となった縁のある島である。「小島」には、伝承通り一本の大きな樹木が生えている。 かつては国道9号が西側面を通過し、鳥取砂丘と共に発展してきたが1970年代前半頃より本格的に鳥取バイパスが着工・開通し、周囲は再び静寂を取り戻しつつある。池の北側から東側に掛けては舗装された道路が通り、南側は遊歩道が通っており、更に遊歩道を挟んで鳥取砂丘からは西方向の小高い丘に鳥取ゴルフ倶楽部がある。元来は砂丘だった場所に設置されたコースゆえ基本的には丘陵コースになる。丘陵特有の起伏があり、フェアウェイは狭めだがドッグレッグなど変化に富んでおり、コースの難易度は高めである。
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