愛子盆地の段丘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 08:04 UTC 版)
芋沢では4段の段丘が良く発達しており、芋沢川の支流によって東西方向の谷が刻まれている。もっとも古く高いのは、高野原や赤坂がある段丘で、北西で標高約270メートル、東になだらかに傾斜して約140メートルになる。 数十メートルの段丘崖で南と西に隣り合わせるのが、大竹原、中山、青野木がある段丘で、北西で約240メートル、東では約100メートルになる。この層の下には埋没谷らしき厚い堆積があり、段丘形成の前(約5万年前)にはここに広瀬川が河谷を刻んでいたかと思われる。 さらに南西、大倉川左岸に沿った苦地に、すぐ上で記した段丘の南と西に隣り合わせて、標高200メートルから170メートルの段丘がある。 最も低いのは、そこから数メートルの段丘崖で下がり、大倉・広瀬両川の合流点から川下1キロメートルほどを占めるのみの狭い段丘である。 芋沢の最低位の段丘は、対岸の愛子の段丘の全部に相当する。愛子の段丘面はこの一つだけで、斉勝川が西から東に流れるものの、刻む谷はめだたない。つまり、愛子盆地は広瀬川をはさんで北側が高く、古く、起伏に富み、南側が低く、新しく、平坦な地形である。 段丘の形成時期については、高いほうから9万年前、5万年前、2万6千年前、1万9千年前とする推測がある。仙台市中心部の広瀬川段丘にあてはめると、台原段丘は1番目、仙台上町段丘は3番目、中町段丘は4番目の段丘に相当するという。
※この「愛子盆地の段丘」の解説は、「愛子盆地」の解説の一部です。
「愛子盆地の段丘」を含む「愛子盆地」の記事については、「愛子盆地」の概要を参照ください。
- 愛子盆地の段丘のページへのリンク